12月15日にロードショー公開されたスタジオポノック最新作『屋根裏のラジャー』。愛をなくした少女アマンダと、彼女にしか見えないイマジナリの少年ラジャーを中心に、美しさや怖さ、優しさに溢れた冒険が繰り広げられる。そんな本作は通常上映に加え、ドルビーシネマ、IMAX、DTS:Xといった多様な劇場フォーマットでも公開されるという。そして先日、『屋根裏のラジャー』のドルビーシネマ試写会が開催された。今回は鳥居一豊さんと一緒に試写を拝見し、さらに制作を担当した方々に、作品づくりの裏側についてお話をうかがっている。(StereoSound ONLINE編集部)

●取材に対応いただいた方々(写真左から)
株式会社スタジオポノック 制作事業部 事業部長 渡邊宏行さん
株式会社スタジオジブリ 執行役員 映像部 部長 エグゼクティブイメージングディレクター 奥井 敦さん
株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス
技術部 カラーイメージングエンジニア 長谷川智弘さん
映像制作部 データイメージンググループ シニアテクニカルディレクター/カラリスト 山下哲司さん

ーー今日はよろしくお願いいたします。まずは皆さんが『屋根裏のラジャー』でどんな役割を担当されたのかから、教えて下さい。

渡邊 スタジオポノックの渡邊です。僕は基本的に制作とポストプロダクション業務を担当しました。

奥井 僕は映像演出担当で、最終的な映像の監修という立場で作業させていただいております。スクリーン上映用のSDR(スタンダード・ダイナミックレンジ)マスターもそうですけれど、ドルビービジョン向けのHDR(ハイ・ダイナミックレンジ)マスターの制作もサポートしており、最終的にどういう作業をしていくかを決めたり、ポストプロダクションとの情報共有なども行いました。

長谷川 IMAGICAエンタテインメントメディアサービス(以下Imagica EMS)の長谷川です。私は色のテクニカルな側面に関すること、具体的には環境構築や検証、カラーグレーディングを行う際のプラグインの開発などを担当しました。また奥井さん、渡邊さん、関係者の皆さんと一緒に実際の劇場に行って、再現される色の調査も担当しました。

山下 Imagica EMSの山下です。私はカラリストとして、ドルビーシネマ用のHDRグレーディングを担当させていただき、奥井さんからいただいたSDRマスターとHDRデータ、それぞれの狙いをしっかりお客さんに届けられるような調整を行っています。

鳥居 今回の『屋根裏のラジャー』はドルビーシネマでも公開されますが、それはいつ頃決まったのでしょうか?

奥井 ドルビーシネマの上映が決まったのは、結構ぎりぎりですね。その時には制作も進んでいました。

渡邊 劇場数などの問題もありますので、当初はドルビーシネマなどのプレミアム・ラージスクリーンでの公開は考えていませんでした。しかしその後、僕が『君たちはどう生きるか』を有楽町の劇場でドルビーシネマを見る機会があったんです。その前に通常上映も見ていたのですが、ドルビーシネマで見たら伝わってくる印象が違って思えたのです。

 その時に、やっぱりドルビーシネマで上映したいと強く思いました。それで、まず弊社の西村(義明)プロデューサーを “この作品はドルビーシネマが一番映えると思う” と説得したわけです。もちろん配給の東宝さんにも相談して、劇場の調整もしていただいて、今回の公開に至りました。

ーー渡邊さんが『君たちはどう生きるか』をドルビーシネマで見て、一番印象に残った点はどこだったのでしょう?

渡邊 うまく言葉で説明できないんですが、同じ映画なのに、作品の深みといったものがより感じられました。

 映像もそうですが、音がドルビーアトモスになってとても微細な情報まで聴こえているという気がしました。『君たちはどう生きるか』は派手なサウンドデザインの作品ではなかったのですが、そういった作品だからこそ、逆に深みを感じたのかもしれません。

 『君たちはどう生きるか』がドルビーシネマでこんな仕上がりになるんだったら、『屋根裏のラジャー』もいいまとまりになるんじゃないかと思ったわけです。

鳥居 ドルビーシネマの採用が決まる前に制作が始まっていたと言うことは、映像はSDRで制作されていたのですね。

奥井 SDRで作業していましたので、ドルビーシネマが決定した時に、それをどう作り込むかを考えました。とはいえ僕の中では、SDRでの作業であっても、ドルビーシネマにも対応できるように準備しておくということは意識していました。

 ただし、実際の撮影を担当するスタッフはHDR向けの作業の経験がなかったので、まず制作環境を整えないと作業ができませんでした。色々困ったことになったので長谷川さんに相談して、どういうやり方がベストかを考えてもらったのです。

鳥居 なるほど、そこで長谷川さんの出番になったわけですね。ところで、SDRマスターの色域はBT.709で制作されていたのですか?

奥井 色域はDCI-P3に準拠しています。これはSDRでもHDRでも変わりません。

ーー色域は同じということですが、SDRとHDRでは明るさによる色再現の違いが出てくると思います。それについてはどんな工夫されたのでしょうか?

長谷川 いくつかハードルがありました。まずはモニターをどうするかです。例えばリファレンスのHDRモニターはとても高価なので、そう気軽に導入できるものではありません。

 制作現場ではHDR対応のモニターが用意できましたので、そのモニター上でどう見えるかを評価し、しっかりキャリブレーションを行いました。定期的にリモートからモニター設定が正しいこともチェックしていました。

 また撮影で使うソフトウェアがHDR対応ではなかったので、アプリケーションの挙動を細かく解析し、独自のツールを開発することで、ある程度HDRに見えるような状態にしました。“ある程度” というのは、リファレンスモニターと比べると使用したモニターではコントラストがそれほど高くなかったために、黒の階調をどうするか、どう考えるかは技術的に難しいところがありました。

 ですが奥井さんと話していて、撮影を進める上では300nitsとか500nitsという輝度が画によって変動せずしっかり現場で確認できることが重要だという意見をいただいたのです。黒の追い込みについては、弊社のドルビーシネマ環境で作り込んでいけばいいということでした。そういったお話を元に、じゃあこうしていきましょう、といった提案をさせていただきました。

ーー制作工程としては、まずSDRマスターがあって、それをHDRに変換したわけですね。その流れはスタジオジブリさんの『君たちはどう生きるか』と同様だと思いますが、以前『君たちはどう生きるか』についてのインタビューで、奥井さんはSDRとHDRで輝度表現に違いはあるけれど、映像全体としてのイメージは変えたくないというお話をされていました。今回もそのあたりは意識されたのでしょうか?

奥井 その考えは変わっていません。SDRのカンパケ、SDRで仕上げた撮影データがありますので、HDR用の作業では変換ではなく、必要な部分、輝度を伸ばすべき領域に加工を加えていくというやり方をしています。そこで輝度を伸ばした時に、どれくらいの明るさかということが、正しく見えないと困るんです。

 SDRモニターでチェックすると、明るい色は全部飛んでしまいます。明るい色の中にもきちんと階調があって、さらにピークも確保されているかをモニター上で見ながらじゃないと、正しい作業はできません。今回は、そのための確認用モニター環境を作ってもらったということです。

ーーということは、HDRマスターを作り込む作業は長谷川さんがチューンした環境で行い、それで仕上げたHDRマスターの確認、調整はImagica EMSの試写室で行ったと。

奥井 そういった作業が必要なシーンと、SDRのままでも大丈夫なシーンもありましたので、必要に応じてHDR用の作り込みを加えたことになります。

渡邊 最終的には600カットほどですので、本編の半分以上はHDR作業を行っています。

奥井 HDR用の作り込みを撮影スタジオで行い、そこで出力したHDRデータをImagica EMSさんに持ち込みました。その段階ではSDRのままのシーンとHDR用に作り込んだシーンが混在していますので、山下さんにグレーディング処理してもらい、最終的なシャドウやハイライトの見え方の調整をお願いしました。

山下 今回は、HDRデータをスクリーンで見た時にどう感じるか、それが狙い通りなのかに注意しました。またこの作品は、特にハイライト部分にドルビーシネマらしい表現が多く出てくるので、そこをどう印象づけるかもポイントでした。このシーンでは黒を広げられるのか、それともSDRと同じレベルの方が望ましいのか、といったところを線引きして、パラメーターを振り分けしていくという手順で絵を整えていきました。

 話は変わりますが、私はSDRマスターが完成した頃に『屋根裏のラジャー』に携わり始めました。最初にそのSDRマスターを見た時に、もの凄くドルビーシネマに向いている、映像の表現という意味でHDRのよさが活きてくるのではないかと思ったのです。

 異世界の表現だったり、光の美しさといったものをドルビーシネマで楽しめることで、作品の世界観を後押しできるということが第一印象からありました。そんな思いがあったので、奥井さんがどのようなHDRデータを作ってこられるかを、楽しみに待っていたのです。

ーーそのデータをグレーディングする際に、山下さんとしてこだわった点はありましたか?

山下 ドルビーシネマについては、ポテンシャルの高さがかえって作品の世界観を変えてしまう可能性も感じていました。特に実写作品での経験上感じることとして、映像が綺麗になったが故に、かえって気が散ってしまうケースもあると思うんです。

 同様に、アニメでは輪郭線の印象が変わってしまうことは絶対にあってはならない。作品の世界観は絶対に崩さないで、より豊かな表現として上乗せするというのが本来の目的だと思いますので、映像の質感的な表現が崩れていないかという点には注意しました。

 画全体がより魅力的になった時に、映像の中のキャラクターに目がいかなくなってしまうこともある。ドルビーシネマの表現力はそれくらい強いインパクトがありますので、そこは繊細に見ていかないといけないと常々感じていました。

 しかし今回の『屋根裏のラジャー』のHDRデータでは、表現を広げるべきカットに関して奥井さんが適切にご判断されている印象がありましたので、私としてはその狙いを届けるためにどうするべきかだけを考えて作業をしていたという面もあります。

鳥居 ちなみに『屋根裏のラジャー』でドルビーシネマに向いていると思われたシーンはどういうところだったんでしょうか?

山下 きらめく光が作品全体に満ち溢れていますし、白飛びで場面転換したりキャラクターが光に包まれていくなどドルビーシネマに向くシーンばかりで、見た方も映画の感じ方として全然違うと思っていただけるんじゃないでしょうか。映画作品に没入してもらうには何かプラスアルファが必要だと思っていますが、この作品に関してはドルビーシネマがその役割を果たしてくれるのではないでしょうか。

ーー百瀬(義行)監督は、本作をドルビーシネマで公開することについて、何か感想を話されていましたか?

渡邊 百瀬監督は当初、『屋根裏のラジャー』は物凄く複雑な作品で、イマジナリの世界、人間の世界、イマジナリのいる人間の世界の3つを描かなくてはならないので、その描き分けをどうするか悩んでいたようです。その中で、イマジナリの世界は4K、人間の世界は2Kというイメージでいきたいといったことを話していました。

 実際にはそんな風には区分していませんが、イマジナリの世界を綺麗に、細かく、豊かに描くということが監督の中にあったと思うんです。そう考えると、今回イマジナリの世界をHDRで描けたことは、監督の思いとしても良かったのではないでしょうか。

鳥居 イマジナリの世界が4Kで、人間の世界の方が2Kというのは面白いですね。ちなみに『屋根裏のラジャー』は2Kで制作されているのですね?

奥井 そうです。イマジナリと人間の世界で違いがあるとしたら、イマジナリの世界ではCGを多く使っていることくらいです。図書館のシーンも3Dモデルでレイアウトを切っていますし、その後の宇宙のシーンもCGで動きを作っています。

ーー今回「手描きアニメーション2.0」で制作したと言われていますが、3DCGも使っているんですね。

渡邊 手描きアニメーション2.0と呼んでいるのは、キャラクターにライティングの効果を足していることを指しています。

奥井 通常の手描きアニメーションでは影も手作業で付けていますが、あれは実際の照明のライティングというよりは、形状を表すための影です。でも今回は、レイアウトで組まれた舞台のどの位置に光源があって、その光源からの光を当てるとどんな風に影ができるかを再現しています。

 影の作り方も、ボケているところとボケていないところがあるとか、距離によって表現が変わったり、逆光の時の肌の透け感が出てきたりとか、複雑な処理をしています。そんな風に、キャラクターに質感を足していくというところで「2.0」と呼んでいるのです。

 今回は撮影の前に別工程でライティングを加えています。キャラクターはアニメーターが描いて、仕上げでペイントを行いますが、その段階では影はつけていません。影のついていないキャラクターをフランスのスタジオに送ると、影がついて帰ってくるのです。

渡邊 これはライト&シャドウという効果で、その技術を持っているのはフランスのパーソン・デ・ルージュというスタジオだけなんです。このスタジオで作られた『クロース』というNetflixのアニメーションは、2Dで描かれているのに物凄く立体的な効果を出していたのです。それを見た西村プロデューサーが、この技術を使おうと考えたのがきっかけです。

 キャラクターの色は、アニメーションでは進化していない部分です。背景などは凄く緻密に、ゴージャスになっているんですが、キャラクターの描き方は大昔と変わっていない。でもこの技術を使ったらそこをアップデートできるかもしれないとうのが発端でした。

 当初は技術をライセンスしてもらって日本で作ることを想定していたのですが、門外不出の技術ということで、フランスのスタジオでやってもらうことになりました。ヨーロッパのアニメーターに作業してもらいましたが、結果的にはそれがよかったかもしれません。

鳥居 実際の作業では作画担当の方が手描きして、それをデジタルに取り込むわけですが、その段階で影の指定はしないんですか?

奥井 レイアウトや原画までは影を描いていますが、動画には基本的に影はありません。この原画やレイアウトの情報を動画データと一緒にフランスのスタジオに送って、このシーンはこんなイメージだということを伝えています。

 とはいえフランス側もその通りに影を付けるのではなく、カットの中に光源が設定されていますから、光源に合わせてキャラクターが動けば影やハイライトも動くし、カメラが移動すればそれに合わせて影を動かしてくれます。

鳥居 夜の焚き火のシーンで、キャラクターに光が当たっているところだけ擬似輪郭的な赤い影が入っていました。そこでも光の強い部分と弱い部分の差がちゃんとあって、細かいところまで配慮しているなぁと感心したんです。

奥井 ボケている部分にも、違った色を入れるということもやっています。

ーーそこまで影の表現を意識するとなると、HDRになったら光の強さまで考えなくてはいけませんね。

奥井 そのあたりも踏まえてグレーディングをしてもらいました。

長谷川 ドルビーシネマは輝度のピークが108nitsで、今回の制作現場での基準は1000nitsです。実際の上映時にはモニターでの印象がスクリーン上でも再現されるように、作品のトーンや印象を踏まえて、適切なマッピングができるような変換を考えました。

 その時に奥井さんと、1000nitsから108nitsにマッピングする時の方法論についてディスカッションさせてもらい、様々な助言をいただきました。それを踏まえて、本作向けの独自の色変換を用意してデモを行いました。

奥井 制作で使ったモニターは500nits対応でした。ただデータ上では500nitsを超えてもいいよという話で作り込みをしてもらっているので、最終的にグレーディングでピークをコントロールしています。

鳥居 イマジナリの世界と人間の世界の違いというところで、イマジナリの世界は明らかに色鮮やかで明るいですよね。SDR上映で見ても、この違いは分かるだろうなぁと想像していました。SDRで制作している段階でも、ここはHDRで明るく、色鮮やかにしたいシーンだということを想定して作っていたんじゃないかなというぐらい、シーンの馴染みがよかったですね。

 これまでアニメ作品のUHDブルーレイでは、HDRならもっとピークが出せるはずだと感じることもあったのですが、今日見せていただいたドルビーシネマでは、まったくそんなことがありませんでした。そのあたり、作る側として特に注意したことはあったのでしょうか?

奥井 ご期待に添えない答になっちゃうんですけど(笑)、そういう意識はまるっきりなかったですね。作る側としては、HDRとかSDRといったことは考えていません。どういう映像作品を作りたいかがまずベースにあって、そこで出来上がったものを劇場スクリーン用とか、パッケージ化する場合の手法として、ドルビーシネマやドルビービジョンをどう使うかということになります。

 この作品の前に手掛けた『君たちはどう生きるか』も、最初からHDRを目指して作り込んでいましたが、作品のカラーとして馴染みにくい部分はあったと思うんです。それでも黒の締め方などはきちんとケアしています。それを踏まえて『屋根裏のラジャー』は、よりフィットする作り方にできたのかなという気はしています。

 ただ将来的なことを考えると、まずHDRマスターを作って、そこからSDRに変換するという流れも、そろそろ視野に入れておかないといけないと思っています。環境整備のハードルが高いのでたいへんだと思いますが。

渡邊 そういう環境が整えば、アニメーション業界は間違いなくその方向に進んでいくだろうと思います。

鳥居 図書館でイマジナリがいっぱい出てくるシーンもありますが、どこまで手描きなのか、どれが3DCGなのか区別がつかないレベルでした。

奥井 キャラクターに関しては、3DCGは使っていません。メインのイマジナリは日本で作業していますが、いわゆるモブキャラに関してはフランスのスタジオにお願いして、デジタル作画したものを手付けで作業してもらいました。

鳥居 現実からイマジナリの世界に移動する時に、いきなり夜になったり、氷の世界になったりします。そのシーンで、色や明るさがなだらかに、自然に変化していたのにも驚きました。

奥井 今回は画面の転換が多く、フェードアウトする時もあれば、ホワイトアウトする時もありました。ドルビーシネマではフェードアウトで本当に真っ暗にできるので、それは有効利用しています。ただ、本当に真っ暗だと見ている方のショックが大きい場合もあるので、そこまで暗くしていないシーンもあります。

山下 ドルビーシネマの白と黒の印象は、SDR版とは大きく変わってくるので、奥井さんがおっしゃったように、それが表現として活かせる部分と、感じ方として強すぎるというところに振り分けて、作品の流れに合わせて調整していきました。

ーーなるほど。同じ白や黒だけど、内容に応じて微妙な輝度感を使いわけていたのですね。

山下 そこは、ドルビーシネマのスクリーンでご覧いただかないとわからない部分かもしれませんね。

鳥居 イマジナリの世界で、海や空の青がすごく深味があって、印象的でした。そういった単色の再現で工夫されたことはあったのでしょうか。

奥井 HDRだからといってその点はいじっていません。そこで見え方が変わっちゃうと困ります。おそらく、最初から色域の広いデータをきちんと作っていたのがよかったのでしょう。

長谷川 BT.709とDCI-P3という2種類のカラースペースでは、海や空の碧い感じなどはDCI-P3の方が表現しやすいので、それも関連しているのかもしれません。

ーー『屋根裏のラジャー』では、ドルビーアトモス立体音響の効果も素晴らしかったと思います。

渡邊 音響についてお話すると、最初に百瀬監督がイマジナリの世界が4Kで、人間の世界を2Kにしようと言った時に、音響演出の笠松(広司)さんからイマジナリの世界の音は7.1chで、人間の世界はモノーラルにするくらい差をつけてみるのも面白いかもとの話もあったんです。実際にはそこまで極端な演出はしていませんが、ドルビーアトモスを使えたことでその狙いが少しは実現できたかもしれません。

ーー音は7.1chで作品を仕上げて、それを元にドルビーアトモスを作るという順番だったのでしょうか?

渡邊 ドルビーアトモスにしますとお話した時に、笠松さんから “最初から言ってよ”と怒られました(笑)。フォーリー(生音)や効果音にしても音楽にしても、ドルビーアトモスと7.1chでは音素材の録り方が違うそうなんです。

 今回は効果音の素材を半分以上録り終えた時に、ドルビーアトモスの採用が決まったので、録音が終わっていた部分は笠松さんにドルビーアトモスに対応可能な素材にするべく作業をしていただき、残りの素材はドルビーアトモスを想定して制作していただきました。

鳥居 思っていた以上に音に迫力があるシーンもあって、これって子供が怖がるんじゃないかと心配してしまいました。

渡邊 そこも笠松さんの真骨頂だと思っています。確かに小さなお子さんにはちょっと怖いかもしれませんが、映画で怖い体験ができるのも凄く大事だと思っているんです。恐怖だったり、心細さ、楽しさといった歓喜を体験できるというのは、映画の持っている力だと思っています。

ーーでは最後に、ドルビーシネマ版『屋根裏のラジャー』の満足度はどれくらいか、教えていただけますでしょうか。

奥井 満足度としてはかなり高いものになったと思います。ただ、これで満足してはいけないんじゃないかという思いもあります。今回作業した中でも問題点は残っていて、それは主に制作環境に関連したものですが、そっちをもうちょっと頑張れば、まだまだできることがあるなという気もしています。まぁそれは今後の課題として残しつつ、現状ではかなり満足度の高い作品ができたと思っています。

ーー奥井さんが、ここはぜひ見て欲しいというシーンはありますか?

奥井 冒頭のシークェンスは、ぜひ楽しんで欲しいですね。イントロで心を掴めれば、お客さんは自然に作品世界に入ってくれると思いますので。

ーー長谷川さんはいかがでしょう?

長谷川 今の奥井さんの話を聞いてほっとしました。一方で取り組むべき課題はたくさんあると認識していますので、そういったことをひとつひとつ解決し、より良い技術的なサービスが提供できるように考えていきます。

 制作、ポストプロダクションの部分などで、こういうことができるかもしれないといった発想はいくつかありますので、奥井さんのご期待に添えるよう、少しでもそれを上回れるように頑張っていきたいと思います。

奥井 僕のためではなく、アニメーション業界のためでしょう(笑)。

ーーモニター用とスクリーン用の変換で苦労したこと、悩んだことなどありましたか?

長谷川 ざっくり言ってしまうと1000nits基準の色情報を108nitsの中に押し込む処理が必要なのですが、色を押し込むことで望まない明るさの低下や色相・彩度の変化が生じては困ります。さらに本作では、HDR向けに作り込まれた色以外は、SDRと同様に見えるようコントロールされてもいます。そういう部分も一括してケアするためには独自の処理を開発する必要があり、技術的なチャレンジだったかなと思います。

ーー山下さんの満足度はどれくらいですか?

山下 奥井さんが満足されているのであれば、僕はそれで充分です(笑)。

 今回の作業でいえば、HDRマスターからドルビーシネマへの変換について、HDRの領域の中に豊かな表現があればあるほど、長谷川が言ったように変換に難しさが伴なってきます。HDRマスターに含まれた高輝度の色をちゃんと感じつつ、どうドルビーシネマに入れ込むことができるかというところに苦労しました。

 またこの作品には、光に包まれる魅力的な表現が出てくるんですが、そのようなシーンの印象はすごく繊細で、どのあたりでキャラクターが光に溶け込んで、ピークの白はどのレベルにあるべきなのかといったところは、ひじょうに悩ましいポイントでした。表現が豊かであればあるほどきめ細やかな調整が必要になってくるので、そういうところは奥井さんからのアドバイスがとても参考になりました。

ーー山下さんから長谷川さんに、このシーンはこうしたいから、技術的になんとかできないかと言った相談はあったのでしょうか?

山下 長谷川との間では、事前準備の段階からそういったやりとりを数多く行なっていました。最初に素材をいただいた時点で、それをドルビーシネマ用に仕上げるにはどういう問題があるかを把握し、例えば、これだとHDR領域の発色が落ち着き過ぎてしまうからもっと豊かな色合いを残せないか、といった試行錯誤を繰り返していたのです。

長谷川 凄く刺激になりましたし、楽しい時間だったと思っています。奥井さんにチェックしてもらう前には、HDRマスターからドルビーシネマに変換する計算の候補を100種類ぐらい作って、山下と相談してその中から2〜3個を選んで、デモしていたのです。

ーー渡邊さんはいかがでしょうか?

渡邊 僕自身は本当に120%満足しています。急にドルビーシネマをやると決めたにもかかわらず、ここまでのクォリティで仕上げてもらえるとは思ってもいなかったので、本当に感謝しています。

 ただ、これは現場で作業されている方みんなの気持ちかもしれませんが、最初からドルビーシネマで作ると決まっていたら、制作方法を含めてまったく違っていたんだろうなと思っています。何の約束もできませんが、次の作品は最初からドルビーシネマで作るという方針で行ければと思っています(笑)。

ーー『君たちはどう生きるか』をドルビーシネマで見た時の衝撃は、今回の『屋根裏のラジャー』でも達成できているとお感じですか?

渡邊 充分感じています。映画ファンの皆さんにはぜひ、ドルビーシネマはもちろん、SDR上映もIMAX上映も含めたすべてのフォーマットでご覧いただきたいですね。

 制作者としては、喜怒哀楽という4つの感情以上の、複雑なイマジナリや人間の思いや葛藤みたいなものをこの作品に詰め込んでいます。もちろん見る人の受け取り方もあるでしょうが、個人的には上映フォーマットによって作品が内包している複雑な感情の機微の浮き出方が少し違ってくるだろうと思っています。

鳥居 おっしゃる通りですね。僕も次回は違うフォーマットで見てみます。

渡邊 真面目な話、StereoSound ONLINE読者のように映画に詳しい方が、『屋根裏のラジャー』を各フォーマットで見てどう感じたかはとても気になります。ぜひその感想を聞かせていただきたいと思います。

ーーそうですね。読者の皆さんも、『屋根裏のラジャー』を色々なフォーマットで見た感想を編集部までお寄せ下さい。責任を持って渡邊さんにお届けします。

残酷な現実と夢にあふれた想像の世界を、HDRを駆使して鮮やかに映像化。進化した手描きアニメーションの映像も新鮮な『屋根裏のラジャー』ドルビーシネマ試写会インプレッション 

 『メアリと魔女の花』に続くスタジオポノックの長編アニメーション第2作『屋根裏のラジャー』。現在絶賛公開中の本作を、公開直前にドルビーシネマで体験する機会を得た。場所は東京・竹芝にある株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス(Imagica EMS)の試写室。ドルビービジョン+ドルビーアトモスで上映された『屋根裏のラジャー』のインプレッションをお届けする。

 『屋根裏のラジャー』は、想像力豊かな少女アマンダが生み出した “想像の友だち” のラジャーが主人公の物語。アマンダ以外には誰にも見えないイマジナリ、人間に忘れられてしまうと消えてしまうイマジナリたちの冒険の物語だ。

 ドルビーシネマでも上映される本作だが、初見で「ついに最初からHDRで制作されたアニメーションが登場した」と感じた。作品の冒頭でアマンダはラジャーとともに冒険の旅へと出発するが、星がきらめく夜空をソリに乗って飛んでいく様子や、晴れ渡った青空から見下ろす自然豊かな土地などが、絵本のようなタッチで色鮮やかに描かれる。しかし、母の声で現実に戻るとそこはアマンダの部屋の中。雨のせいか部屋の中は薄暗く色も沈んでいる。

 HDRの広い輝度ダイナミックレンジを活かして、想像の世界と現実をはっきりと描き分けていた。こんな演出ができるのはHDRならではだと感じたわけだ。実際には現在の一般的なアニメ作品と同様に制作はSDRで行われたというが、制作スタッフは宮﨑 駿監督作品の『君たちはどう生きるか』などにも関わっており、作品の表現力を拡大するドルビーシネマ上映の経験が本作に生きているように思う。

 そうした光と影の表現、昼間の明るさと夜の暗さが豊かに表現されるだけではなく、手描きのキャラクターの質感もずいぶん違っている。セルアニメでは特徴的な顔の影や髪の毛、艶の表現などを色で塗り分ける表現があるが、本作では塗り分けの境界がグラデーションをかけたようにぼかされ、髪や服は筆のタッチや服の生地の質感まで描き出される。また炎を前にしたときは肌に赤みがさすなど、場面ごとに陰影が変化し、とても立体的に見えるのだ。

 「手描きアニメーション2.0」と呼ばれているその手法では、シーンごとに舞台となる空間がきちんと設定され、そこでの光源位置も決まっているという。キャラクターが動き回ると光源に合わせて光の当たり方が変化する。アニメを見慣れている人ほど、肌の色設定はどうなっているのか、影の当て方はすべて作画監督が手を入れているのか、髪や服のテクスチャーはどうやって加えているのかなど手法についてさまざまな疑問がわくことだろう。

 具体的な手法はさておき、これによって平板なアニメの絵は3DCGで描かれたキャラクターのように立体的になり、手描きなのにリアルという質感を備えた。このため、キャラクターたちの表情や動きがより表情豊かになり、感情が伝わってくる。これは今までにはない感覚だ。

 本作でも背景やキャラクターなどで3DCGが使われているが、2Dの手描きと3DCGの映像が見事に調和していて、フル3DCG制作と言われても信じてしまうし、手の込んだ手描きアニメにも見えてしまう。手描きでは不可能なアングルやダイナミックな動きと、逆に手描きならではの表情の豊かさが融合した映像は、現実と想像の世界を行き交う物語にもぴったりだ。もちろん、音響もドルビーアトモスの立体的な動きが加わって映画世界に没入した気分になる。

 HDR映像と立体音響に加えて、「手描きアニメーション2.0」のような新手法を導入した『屋根裏のラジャー』は、従来のアニメーション作品とは別次元の臨場感が得られる。物語も現実の残酷さも描きながら、想像の世界へと夢をはせる子供の心を感動的に描いていて、見応え充分。アニメーション作品の新しい表現を存分に味わえる、素敵な作品だ。(鳥居一豊)

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