7月14日に公開された宮﨑 駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』が大ヒットを続けている。公開4日間で観客動員135万人、興行収入21.4億円を突破し、先日発表された公開1ヵ月の集計では観客動員412万人、興行収入62.3億円に届いたという(興行通信社調べ)。そんな本作はスタジオジブリ作品として初めてIMAXシアターで公開、加えてドルビーシネマ、DTS:Xでも上映されている。今回は劇場公開時にこれだけ多くのフォーマットに対応した狙いや制作時の苦労話について、本作の撮影監督を担当した奥井 敦さんと、ポストプロダクション担当の古城 環さんにお話をうかがった。インタビュアーはジブリ作品を愛する潮 晴男さんだ。(StereoSoundONLINE編集部)

『君たちはどう生きるか』
●原作・脚本・監督:宮﨑 駿●製作:スタジオジブリ※全国公開中
 
 宮﨑駿監督10年ぶりとなる長編映画最新作『君たちはどう生きるか』。本作のタイトルは、宮﨑 駿監督が少年時代に読み、感動した、吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」からお借りしたもの。宮﨑監督のオリジナルストーリー作品です。

——今日はよろしくお願いいたします。まずは『君たちはどう生きるか』の大ヒット、おめでとうございます。公開10日で36億円を突破したそうですが(取材時の興収)、感触はいかがですか?

古城 ありがとうございます。ご存知の通り、今回は弊社から積極的に情報発信をしていないこともあり、手応えもふわっとした感じなんです。とりあえず初週の結果が出てひと安心しています。

 テレビや新聞広告も打っていなかったので、公開日もほとんど認知してもらえなかったようですね。違う作品を目当てに劇場に行ったら『君たちはどう生きるか』が既に公開していた、という人もいたそうです。

 さて、『君たちはどう生きるか』はIMAX、ドルビーシネマ、ドルビーアトモス、DTS:Xといったほとんどの劇場フォーマットで上映されています。今回これだけ多くの方式に対応したのはなぜなのでしょう?

古城 結果的にそうなったという面も大きいですね。第一は、東宝サイドが『君たちはどう生きるか』について、お客さんがIMAXやドルビーシネマといったプレミア上映を選択する率が他の作品に比べて高いと判断してくれたようです。

 なるほど、興行サイドとしての戦略的な判断もあったわけですね。そもそもIMAX上映はスタジオジブリ作品では初めてとのことでした。

古城 今年の3月に、IMAXでも上映したいというオファーが改めてあったんです。その際には、納得いくまでテストをして下さい、必要ならアメリカに行って下さいといった内容でした。そこで、まず我々が作ったデジタルデータをIMAX上映用に変換したらどうなるのかを見せてもらってから、方向性を詰めていきました。

 上映用のマスターをIMAX用に変換する必要があるわけですね。単純に画角を変えればいいのかと思っていました。

奥井 IMAXはそもそも上映システムが違いますから、上映用のDCP(デジタル・シネマ・パッケージ=上映用の配信形式)も別物です。上映用のDLPプロジェクターもIMAX用にカスタマイズしていますし、超大型スクリーンでは2台使って輝度を稼いでいます。

 また、プロジェクターの光源がレーザーかキセノンランプかでコントラスト再現がまったく違うんです。そのため上映用のDCPも別々に準備する必要がありました。

古城 それもあり、IMAX版はレーザープロジェクター用とキセノンプロジェクター用のふたつのDCPを制作しました。また、キセノン用は劇場によって5.0chと12.0chがあるので、3種類のDCPが必要でした。

——今回はドルビーシネマでも上映されていますから、映像マスターはHDR(ハイ ダイナミック レンジ)で制作していますよね。IMAX用の映像素材にはHDRマスターを使ったんですか?

奥井 いえ、IMAX 用に使ったのはSDR(スタンダード ダイナミック レンジ)マスターです。HDRマスターはドルビーシネマと将来的なパッケージ用で、劇場公開ではSDRマスターが基本になります。といってもSDRで仕上げてはいますが、HDR化することを前提にした画作りを行なっています。

 基本的にアニメーションは手描きなので、絵を描いた段階では輝度や色についてのデータ、要素は何もないんです。そこに着色をしていくわけで、通常の作り方ではハイライトをどこまで伸ばすか決めるのも難しいのです。

 そこで今回は、SDR/HDR変換のワークフローを組んだ上で、制作に取り掛かりました。まずSDRマスターを仕上げて、その後HDR用にハイライトを伸ばす処理を追加するといったイメージです。

 劇場用のDCPとしては、まずSDR版とHDR版を作ったわけですね。さらにIMAX上映用はSDR版をベースに変換作業が行われたと。

奥井 今回は、そういった流れになります。今後はもしかしたらマスターをHDRで作って、そこからSDRに落とし込むという形になるかもしれません。

 映像マスターをSDRで作るのとHDR制作ではどちらが楽ですか?

奥井 どっちが楽ということはありませんが、弊社としてはSDR制作の方が慣れていますので、今回もSDRをベースに選んでいます。

今回の取材に協力いただいたおふたり。写真中央が株式会社スタジオジブリ執行役員 映像部 部長 エグゼクティブ イメージング ディレクター 奥井 敦さん、左が同ポストプロダクション部 部長 古城 環さん

 HDRの演出については、奥井さんが監修したのか、あるいは宮﨑監督が決めたのか、どちらなのでしょう?

奥井 本作のHDRに関しては、宮﨑の意向は入っていません。制作に入る前にこういうことができますよと説明した上で、最後にチェックしてもらいました。

 私は丸の内ピカデリーのドルビーシネマで本作を拝見しましたが、前半で太陽の中から青サギが現れるカットなど、派手ではないけどツボを押さえたHDR演出がされていると感じました。

奥井 あのカットの加減も難しかったですね(笑)。太陽をバックに青サギが飛んできますが、ドルビーシネマ上ではあれがピークに近い明るさ(108nits)なんです。データ上ではもっと伸ばせますが、太陽の明るさを上げるとそこだけがくっきりはっきりになって、絵としてそれでいいのかという問題が出てきます。

 画面として成り立たせるにはピークを伸ばすだけでは駄目で、その周辺も合わせて輝度を調整して、ギリギリ輪郭が見えるかどうかというところを狙うんです。そういうコントロールは、ある程度きちんとした環境がないと作り込みが難しいですね。

 一般的には、SDR素材をスタジオに持ち込んで、明るいところを持ち上げてHDR化することが多いと思います。ただその場合、明るい部分には階調がないんです。ただ明るくなっているだけですね。

 でも、ジブリ作品はそれでは困ると。

奥井 これは、いい/悪いではなく、作品としてOKかどうかという造り手側のこだわり、判断だと思っています。

 今回はそこにもこだわったということですね。ちなみにHDRマスターの確認は国内で行ったんですか?

奥井 最終的にはHDR化したデータをIMAGICAエンタテインメントメディアサービス(Imagica EMS)に持ち込んで、ドルビーシネマ対応の試写室でグレーディングを行いました。

 HDR化にはどれくらいの時間をかけたのでしょう?

古城 奥井の作業としては、SDRが終わってから、プラス1〜2週間でした。

奥井 グレーディング作業としてはそれくらいですが、HDRデータを作り込む作業はSDR版完成後、時間を置かずに並行作業しています。

 ところで、今回の映像は4Kで制作されたんですか?

奥井 映像マスターは2Kで仕上げています。ただし、上映用には4Kに変換したDCPを準備しました。

古城 これまでは劇場のプロジェクター側で4Kに変換していましたが、プロジェクターによって変換品質に差がありますし、サーバーとの組み合わせの問題などもありましたので、事前に品質を担保しようと考えたのです。

奥井 劇場のプロジェクターは実写作品をメインに考えているので、2Kを4Kに変換するとカリカリの画調になりがちです。特にアニメーションだとキツイ印象になってしまうので、それを避けたいという気持ちもありました。

 IMAXの上映マスターは、アメリカで変換作業を行う必要があると聞いています。今回も同様だったのでしょうか?

古城 北米で作業してもらいました。ただし我々としては、これまで上映されていた日本アニメのIMAX版を見て、気になっている部分がありました。具体的にはSDRとはかけ離れた印象の絵になっていることが多かったのです。

 そこについては、テスト試写の際にIMAX日本支社の担当者に同席してもらい、チェックの後に北米のスタッフとオンラインミーティングも設定しましたので、“なぜこうなるのか?”という原因についての検証ができました。

 そこでは、まず我々はこういう画を求めているんだということを説明し、さらにこういうカットでこういう処理をかけてもらったら、求めているものに近づくかもしれないといった話を詰めていったのです。

——テストでは本編全部をIMAX用に変換したのですか?

古城 使ったのは2分くらいのテストピースですが、IMAX側からバージョン違いをたくさん送ってきたので、なんだかんだで1時間くらいはチェックしました(笑)。

 彼らなりの提案もあったし、DMR(デジタル・メディア・リマスタリング)という独自技術をかけるパーセンテージをどれくらいにするかも議論しました。

 DMR処理の強さでも映像が違ったんだ。

古城 もともとIMAXはコントラストとデ・グレインが売りで、デジタル素材であっても粒子感を綺麗に見せるのが特徴です。そこで元の絵と、処理をかける割合を変えたものを複数準備してくれたようです。

 100%で処理した場合と、そこから30%刻みで変えていったらどうなるかを見比べて、どれがいいかを選ぶといった事も行いました。さらに、元の素材にフィルターをかけて、その上でDMR処理したらどうかも試してもらいました。そうやって歩み寄っていった結果、本来のDCP版の絵に近づけることができたのです。

 そこまでの追い込みが必要だったとは、想像以上です。

古城 しかもこの段階になって、IMAX社ではレーザー光源用とキセノン光源用のDCPを別々に作っていると言う話が出てきたんです! そんなの今初めて聞いたんだけど、と驚きました。

 IMAXとしても光源による映像の違いは認識していたんですね。

古城 そう言われたら我々も2種類作らないと駄目じゃん、という話になって、そこからTOHOシネマズ新宿(IMAXレーザー)と、TOHOシネマズ立川立飛(IMAXデジタルシアター=キセノン)の2ヵ所でチェックすることになってしまいました。

奥井 しかもレーザーとキセノンでコントラストが3倍くらい違うので、それに対応するためには、違う素材を準備しないと駄目でした。

 キセノン用は、映像マスターの輝度レンジを狭めたということですか?

奥井 キセノン光源は見え方がSDR版に近いので、元々のデータを使いました。レーザープロジェクターの方がコントラストが高い分、ギラついて見えないようにするのに苦労しました。

古城 結局、IMAX用のDCPを仕上げるのに3ヵ月ほどかかりました。そもそもこちらから元素材をアメリカに送って、IMAXで処理をかけて、そのデータが日本に届いてから検証用の劇場の試写スケジュール調整に入るという流れだったので、テスト試写も2週間おきにしかできませんでした。

——奥井さんはIMAXから届いた映像を見て、どう感じられましたか?

奥井 IMAXレーザー用といってもダイナミックレンジはSDRと同じですから、コントラストだけを変えていくと想定外の絵になってしまうんです。そこをコントロールするために、こういった処理を入れて下さいといったリクエストを出しています。

古城 今回は、我々の気の済むまでテストをしていい、しかもスタジオジブリとして認めなければIMAX版は上映できないという約束でしたので、IMAXのスタッフもオンラインミーティングに毎回7〜8人は参加していました。

 IMAX社としても、『君たちはどう生きるか』を上映できるかどうかは重要だったんですね。ところで、画角はIMAX版も同じですよね?

奥井 画角はどの上映方式でもビスタサイズです。そもそもビスタサイズでしか画を制作してませんので、余分な情報はありません(笑)。

 結局、今回の上映用DCPは何種類作ったんですか?

古城 IMAX用が先程の3種類で、さらにドルビーシネマ用、ドルビーアトモスやDTS:X用のIAB(イマーシブ・オーディオ・ビットストリーム)-DCP、さらに7.1ch用と5.1ch用のSDRもありますから、今回は過去イチ多いですね。

※9月4日公開の後編に続く

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