ドルビー・ジャパンは、スタジオジブリ作品『君たちはどう生きるか』がドルビーシネマで公開されたことを受け、その採用経緯についての発表会を開催した。

 宮﨑 駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』は7月14日に公開され、現在も大ヒットを続けている。この作品は5.1chや7.1chに加えて、ドルビーシネマ、ドルビーアトモス、IMAX、DTS:Xでも公開されていることも映画ファンにとっては注目ポイントだ。今回はその中でドルビーシネマにフォーカスし、スタジオジブリがなぜこのフォーマットを採用したのかについての解説が行われた。

 ちなみにドルビーシネマとは、HDR(ハイダイナミックレンジ)映像のドルビービジョンと、3D立体音響(イマーシブオーディオ)のドルビーアトモスを採用、それらのフォーマットに対応し、かつ理想的な環境を備えた劇場で上映することで作品の魅力を引き出そうという方式だ。

 ドルビービジョンは従来方式に比べてより広い輝度ダイナミックレンジを備え、さらに広色域や鮮明な色彩再現も可能。ドルビーアトモスは従来の5.1chや7.1chに加えて、天井にトップスピーカーを配置することで包まれるような音場が楽しめる。

 今回の説明会では、本作の撮影監督を勤めたスタジオジブリの奥井 敦さんと、同じくポストプロプロダクション担当の古城 環さんが登壇、ドルビーシネマ採用の経緯を語ってくれた。

 まずおふたりに、スタジオジブリとしていつ頃からドルビーシネマに興味を持っていたのか、どういう経緯で採用するに至ったかについて質問があった。

 これに対し奥井さんは、「かれこれ40年以上アニメーションの撮影を手がけてきました。最初はフィルムで、最近はデジタル制作が中心です。フィルムの頃は透過光を使って明るさを表現していたのですが、この手法では狙った光がそのままフィルムに残ってくれたのです。しかしデジタルでは階調に制限があるため、表現の幅が狭くなってしまいました」と語った。

 さらに「『思い出のマーニー』を公開した時にそれを感じていて、ちょうどその頃にドルビーさんがHDR上映について提案していると聴いて、2015年にロサンゼルスにデモンストレーションを見に行きました。その時の黒の締り、ハイライトの再現を見て、ぜひ次の作品ではこれをやりたいと思ったのです」とHDRでの絵作りに大きな可能性を感じたことを話してくれた。

 奥井さんは帰国後に、三鷹の森ジブリ美術館で上映するために制作した短編作品をHDRに変換して、再度アメリカの対応劇場に持ち込んでテストを行ったという。さらにその短編を宮﨑監督に見てもらったところ(HDRモニターを使用)、宮﨑監督も高輝度領域でも色が飛んでしまわない点を気に入ってくれたそうだ。そこで次に長編をやる時にはHDRを使おうということになったという。

株式会社スタジオジブリ 執行役員 映像部 部長 エグゼクティブ イメージング ディレクター 奥井 敦さん

 続いてドルビーアトモスを採用した経緯について、古城さんから解説された。

 「ドルビーアトモスは、『アーヤと魔女』で初採用しました。実はこの時には既に『君たちはどう生きるか』の制作が始まっていたので、『アーヤと魔女』で実績を作ろうと思ったのです。この時は5.1chからのアップコンバートだったので、次に作る時は音の仕込みをどうするかも考えました。その意味では『アーヤと魔女』は壮大な実験場でもありました」とのことで、スタジオジブリとしてかなり早い時期からドルビーアトモスについての研究を進めていたことを明かしてくれた。

 さらにドルビーシネマで狙った絵とはどういったものかと聞かれ、「もともとはSDR(スタンダードダイナミックレンジ)で仕上げているので、差別化は必要ですが、元の絵とかけ離れてはいけないと考えました。その調整がひじょうに難しかったですね」(奥井さん)と話していた。

 一方の音については、「『風立ちぬ』がモノーラルでしたので、ドルビーアトモスを採用したことでうるさいといわれないように注意しました。今回の音響チームの合言葉は、“引き算” “迷ったら外す” でした(笑)」(古城さん)とのことだった。さらに「ドルビーアトモスでは、移動感、オブジェクトを動かすといったことよりは、空間の広がりをどう再現するかを考えました」と音づくりへのこだわりを語ってくれた。

 ちなみに5.1ch/7.1ch上映版とドルビーアトモスではフロントL/C/Rの音はほとんど変えていないそうで、どのフォーマットで見ても作品としての印象に違いがないように配慮されているという。「ドルビーアトモスでは、環境音の広がりを確認して欲しいですね。ここは顕著に聞き分けられるでしょう」(古城さん)とのことだった。

株式会社スタジオジブリ ポストプロダクション部 部長 古城 環さん

 さらにドルビーシネマの技術が、観客に与える感動にどうつながるのかという質問もあった。

 ここにいて古城さんは、「いちばん違うのは、没入感だと思います。われわれが試行錯誤した内容が一番素直に表現されているのがドルビーシネマです。その意味では、制作者がこういう状態で見て欲しいと思う最高峰じゃないでしょうか」と答えていた。

 奥井さんも、「我々制作者は技術論を言いたいのではなく、それを使って生まれた作品を見て欲しいですね。作品が最良になるように常日頃から考えながら作っています」とクリエイターとしての矜持を語ってくれた。さらに、「作品づくりでは、仕上がった映像を宮﨑監督にチェックしてもらうのですが、そこでドルビービジョンは武器になります」という言葉も飛び出していた。

 また今後ドルビーシネマをどんな風に使っていきたいかという質問について古城さんは、「今回辛抱したので、派手な映画を作りたいですね。最近のジブリ作品では足し算の作品がないので(笑)」と語り、奥井さんは「映像では、足し算・引き算の両方を使えるのがHDRです。今後もそこを活かしていきたい」と話してくれた。

 またスタジオジブリの過去の作品をドルビーシネマで公開することはないのかという質問もあり、「技術的には可能ですが、やるかどうかはわかりません。でも『千と千尋の神隠し』のドルビーアトモス版は見てみたい。そう思いませんか」(古城さん)という返事があった。奥井さんは「やりなおしたいかと聞かれたら、映像的には全部やりなおしたいですね。フィルム作品の方がやりやすいかな」と冷静に分析している様子だった。

 記者は『君たちはどう生きるか』をドルビーシネマとIMAXのふたつの劇場で見ている。それらは、もちろん各フォーマットならではの細かい差異はあったが、基本的な絵のトーン、音場の再現は共通しており、おふたりが語っていた制作者が見て欲しい絵、聴いて欲しい音というものがきちんと再現されていると感じた。ここまでのこだわった作品づくりができてこそ、スタジオジブリ作品なのだろう。

 なおStereoSound ONLINEでは、『君たちはどう生きるか』の制作裏話について、奥井さんと古城さんに詳細なインタビューを実施している。そちらについても近日公開しますので、お楽しみに!(取材・文:泉 哲也)

『君たちはどう生きるか』
●全国公開中●原作・脚本・監督:宮﨑駿●製作:スタジオジブリ

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