たやすく媚びたりはしないが耳や皮膚を通じて染み通る音。これぞ生演奏の擬態が潜む音溝の力

『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード/ザ・グレイト・ジャズ・トリオ』

“トニー・ウィリアムス”や“ザ・グレイト・ジャズ・トリオ”の名を耳にすると、途端にみぞおち付近や脳幹の辺りが熱を帯びたり、細胞が賦活するような感覚が蘇ることがある。あの『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード/ザ・グレイト・ジャズ・トリオ』の1977年ライヴ録音のA面1曲目「ムース・ザ・ムーチ」、トニー・ウィリアムスの豪快なドラムソロが低音大振幅や過渡特性の凄みを刻んでいるからだ。ピアノのハンク・ジョーンズ、ベースのロン・カーターという強力なメンバーの魅力も全開なのだし。
かく言う私はといえば、当時は大音量厳禁の環境にてデスクトップ型のスピーカーで小音量再生するしかなかった。大迫力で聞きたければジャズ喫茶に出かけることになるのだが、やがて一番気に入っていた店が廃業となってからはそっちも縁遠くなった。それに映画館に勤めるようになってからというもの、そこでは大きすぎるほどのスピーカーにて、たいていの映画作品は大味の大音量再生なのだから、本格的なハイファイ装置にて最高水準の低音を聴きたいという願望とは無縁であった。わずかに、自作のサラウンド再生装置にdbxの3バンド仕様ダイナミックレンジ・エキスパンダーを加えてキレのいい低音をねつ造、小劇場のヤワな壁を揺さぶる程度の効果を得て少々の達成感を得たことはあった。でもオーディオ趣味の世界とはずいぶん違うのだ。

そんなわけで、トニー・ウィリアムスの超絶ドラム録音はいつのまにか敬して遠ざける間柄になってしまった。ところが、そのクールな関係が一挙にホットに転じる事態が生じたのだ。30年ほど前のこと、ジャズ喫茶の一関「ベイシー」(目下休業中)にて、当主の菅原正二氏にゴツイ低音大振幅再生の洗礼を受けたのだ。

そこはアポなしで訪れたのだが、朝沼予史宏氏の推薦だと明かすと歓迎してくれた。閉店時間になってからも、カウント・ベイシーの大音量再生に合わせて自らドラムを叩いてくれたりして、実演レベルの音量で聴く快感に酔いしれたが、さらに〆にふさわしい出し物があった。それがトニー・ウィリアムスであった。

JBLの大型ダブルウーファーの振動板が吹っ飛んでかみつくのではないか、というほどの大振幅に壁のあちこちが共鳴しこちらの骨身も揺さぶられる。そして胸板が圧迫されつつ、息をしていいのかどうかというほどの音圧責めはやがて快感となる。さらにドラムソロが佳境に入ると、ある種の官能体験のような内熱状態、あるいは脳内阿片様物質とかエンドルフィンとか呼ばれているものが捻出されたのだろう、脳幹部から吹き出すような光明に支配されるようにもなった。そういうのは、苦行僧に言わせると“ニセの悟り”状態というものらしいのだが、凡夫としてはそれで十分だ。

ディスクの解説書によると、この演奏ではビッグバンド用の大型バスドラムを使ったということで、室内楽的な緊密なアンサンブルを志向しがちなピアノトリオのフレームを飛び出してしまった「ムース・ザ・ムーチ」であった。それは、わが乏しいオーディオ体験を一挙に格上げしてくれたようなものであり、これに匹敵するのはウェスタン・エレクトリック体験くらいのものだ。

というわけだが、このアルバムの聴きどころはドラムソロだけではない。2曲目「ナイーマ」はハンク・ジョーンズの美音が染みわたるし、それまで控え目だったシンバル系の精妙な輝きも見えてくる。私見では1曲目は4分の1インチ幅、38cm/secのテープにドルビーA型ノイズリダクションを介して磁気飽和の限界付近まで低音を詰めているので高域が後退しやすかったのだろう。

またB面はロン・カーターのウッドベースが弾力感と質量感、そして指さばきの細部まで克明な歌心に聴きほれてしまう。ベースの巻線弦の実感をよく収めているのでチェックディスクとしても好適だ。

Stereo Sound ANALOG RECORD COLLECTION
33 1/3回転LP『『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード/ザ・グレイト・ジャズ・トリオ』

(ユニバーサルミュージック/ステレオサウンド SSAR-077) ¥8,800 税込
●演奏:ザ・グレイト・ジャズ・トリオ=ハンク・ジョーンズ(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)
●録音:1977年2月19、20日ニューヨーク、ヴィレッジ・ヴァンガード(ライヴ)
●アナログレコード33 1/3回転 通常盤●監修・サウンドスーパーバイザー:菅原正二(ジャズ喫茶「ベイシー」店主)
●カッティングエンジニア:松下真也(PICCOLO AUDIO WORKS)
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『アイム・オールド・ファッション/渡辺貞夫 ウィズ・ザ・グレイト・ジャズ・トリオ』

こちらはライヴではなくスタジオ録音。ザ・グレイト・ジャズ・トリオと渡辺貞夫との初のアルバムであり、彼はアルトサックスとフルートを演奏し自作曲も提供して大活躍だ。

1976年当時話題になり、印象的なジャケット写真は方々でよく見かけたものだ。これは控え目ながら高密度の音で音像が隙なく練りこまれている。ありふれた4人編成の録音のようでいてライヴ感があるのは、音の高い密度感と一発録りを数テイク試みる程度のシンプルな録音セッションだったからだろう。エコーの追加処理もしていない。

定位が明瞭といっても中域を摘まんでくっきり特定箇所に張り付けるというわけではない。幅も奥行もある音像の実体感と互いの音をよく聞きあって生まれる間合いの確かさ、フレーズの受け渡しの緊張感など現場に立ち会っているような気分になるのだ。

名人芸のアンサンブルを一番感じるのは、B面3曲目の「アイム・オールド・ファッション」だ。この曲のみ渡辺貞夫はフルートを吹いていて、厚みのある渋めの音色がよく分節し変則的なリズムの推進力を受け入れながら、少々の抒情味も振りまいている。一様な<ソロと伴奏>にはならない運動体としての面白みがあり、それが風格の波動を放ち続けている。他の曲のアルトサックスにしても、ソリッドな音の連祷(れんとう)であり、たやすく媚びたりしない。それでも耳や皮膚を通じて染み通ってくるのは、アナログ録音らしい濃度と浸透力があるからだ。

こうして、日本で誠実カッティングされた音溝には、生演奏の擬態が潜んでいると教えられたのであった。

Stereo Sound ANALOG RECORD COLLECTION
33 1/3回転LP『アイム・オールド・ファッション/渡辺貞夫 ウィズ・ザ・グレイト・ジャズ・トリオ』

(ユニバーサルミュージック/ステレオサウンド SSAR-078) ¥8,800 税込
●演奏:渡辺貞夫(as、fl)ザ・グレイト・ジャズ・トリオ=ハンク・ジョーンズ(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)
●録音:1976年5月21日ニューヨーク、ヴァンガード・スタジオ
●監修・サウンドスーパーバイザー:菅原正二(ジャズ喫茶「ベイシー」店主)
●カッティングエンジニア:松下真也(PICCOLO AUDIO WORKS)
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