その後の苦悩を感じさせない、カラフルでリズミカルな少年時代

 題名は『FLEE フリー』。「FREE」(自由)ではない。逃げる、エスケープするのFLEE。ひとりの青年が自分の居場所を求めて、世界の外と内にある国境を乗り越え、やかておのれの居場所にたどり着くまでの物語だ。

 デンマーク東部の街、コペンハーゲンのどこか。ベッドに寝た主人公のアミンは、友人であるヨナス・ポヘール・ラスムセン監督から質問を受けている。「できるだけ古い記憶を思い出してほしい。浮かび上がるのはどんなことだい?」

アカデミー賞の国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞にノミネートされるなど、国際的に高い評価を得ている『FLEE フリー』。少年時代に激動のアフガニスタンから脱出し、現在はデンマークで暮らすアミンは、高校時代からの友人である映画監督から、これまでの人生についてインタビューを受けることになる

 3歳か、4歳のころ。生まれ故郷のアフガニスタン、カブールの街。
 「ぼくは姉の服を着るのが好きだった」

 アーハの1985年のヒット曲「テイク・オン・ミー」をヘッドホンで聴きながら、カブールの街路をニコニコと走り回るアミンの姿がスケッチされる。このあとのアミンの運命からは予想もできない軽やかなナンバーだ。お姉ちゃんの服を着て跳ね回る少年に怪訝な目を向ける男はいるけれど。

 このリズミカルな場面が大好きだ。ノルウェーの3人組シンセ・ポップ・バンド、アーハのこの曲は85年の全英シングル・チャートで2位、アメリカでは1位に駆け上がったヒット・チューンだ。

 YouTubeでの再生回数は14億回越え。『ラ・ラ・ランド』、『バンブルビー』、『怪盗グルーのミニオン大脱走』など映画の挿入歌として使われることも多く、またアメリカのアカペラ・グループ、ペンタトニックスや、オルタナ・バンドのウィーザー、ラッパーのピットブルとクリスティーナ・アギレラなど、世界中でカバーされたパーティ・チューンだ。

 この曲がアフガニスタンでも流行っていたのか、とビックリする。もちろんこれは一部の若者たちの間でのことかもしれないけれど。ラムスセン監督は、本作で使われた楽曲の多くは、実際にアミンのカセットレコーダーに残っていたもの、と語っているが。

姉のワンピースを着て、楽しそうに走り回る少年時代のアミン。手にしているのはウォークマンか

アミンの少年時代の記憶では、ごく普通の幸せな家庭のようだ。しかし、このあと激動の運命が彼らを待ち受ける

平穏に暮らしていた一家に、だんだんと暗い足音が忍び寄り……

流され、逃げつづけることを強いられるアミン。苦悩を抱え、たどり着いた未来とは

 1979年12月、ソ連のブルジネフ政権はアフガニスタンに侵攻した。同国の共産主義体制を維持し、伸長するイスラム原理主義の芽をつぶし、ソ連国内への影響を防ぐためだった。

 アメリカ政府はアフガニスタンの反政府勢力に武器を供給し応援するが、事態はソ連退散後に泥沼化(のち彼ら、ムジャヒディン=当時の反政府ゲリラのなかから、アメリカ同時多発テロ事件を率いたオサマ・ビン・ラディンが現われる)。アミン少年一家の運命が変わったのも、この70年代終わり以降のことだった。

 ある日、突然現れた政府関係者に父親が連れ去られ、ムジャヒディンとアフガニスタン軍との内戦が始まる。身の危険を感じたアミン一家はアフガニスタンを脱出し、ロシア国内に身を潜めるが、ロシアは共産主義体制が崩壊した直後。難民の彼らには、そこでも困難が待ち受ける。

ビザがない彼らには、正規ルートでの国外脱出は望めない。高額を巻き上げる悪徳業者に身を預けなくてはならず、しかもそのルートは命を脅かすほど危険なものとなる

 徒歩で雪山を越えて国境地帯へ行き、待っていた船に乗り込みスウェーデンに向かうが強制送還されるなど、紆余曲折の末に一家はバラバラになる。アミンはひとりロシアからの密出国を試みて、1995年にはデンマークのコペンハーゲンに。

 波間に漂う木の葉のようだ。

 アミンはそこで考える。こどものころから逃げつづけるばかりの人生だった。もう変えなくては。自分で人生を選ばなければ。そして愛するひとと愛ある生活を送らなくては。

 コペンハーゲンに着いた彼は、空港で係員に初めて自分が難民であることを告白する。そして友人である監督には、自分がゲイであることも。ぼくは小さいころから男性にあこがれを持っていた。でもアフガニスタンにホモセクシュアルはいない。家族の恥になるし、それを表わす言葉もないんだ。

 アミンの告白には、デンマークという土地柄もあったのだろう。人権意識が高く、今日ではLGBTQの69%が職場でカミングアウトをしているといわれる国。1989年には世界で初めて登録パートナーシップ(同性カップルが登録することで、結婚の一部の権利が適用される制度)が導入され、以降、ジェンダーの課題の解決に力を注ぎ、現在も努力をつづけているといわれる。

 もちろん、カミングアウトには躊躇も反対意見もあるだろう。けれども世界は少しずつ開かれねばならない。自分の子どもの世代には、より多くの選択肢があたえられるべきなのだ。

 成長し、コペンハーゲンで学者として満ち足りた日々を送るアミンと、丸メガネをかけた共同生活者キャスパーの未来に幸あれ。

 家族たちとは離れ離れになったけれど、アミンのいまはとりあえず幸せだ。いい曲だな。アイスランドはレイキャビクを本拠地に活動するバンド、ロウ・ロアーの歌「ヘルプ・ミー」の旋律が胸に響く。

 新しい家。新しい人生。美しい庭とふたりの間を歩く猫。

 世界の在り方を考える。ウクライナの青かった空に思いを馳せる。

『FLEE フリー』

6月10日(金)新宿バルト9、グランドシネマサンシャイン 池袋他全国ロードショー

監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン
製作総指揮:リズ・アーメッド、ニコライ・コスター=ワルドー
原題:FLUGT
2021年/デンマーク=スウェーデン=ノルウェー=フランス/1時間29分
配給:トランスフォーマー
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