世間に衝撃を与えた、人気絶頂での訃報

 ジョン・ベルーシは1982年の3月5日に33歳の若さで亡くなった喜劇人である。米国NBCのコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」(ベルーシは1975~79年にかけて出演。番組は第46シーズンである現在も放映中)や、学園ハチャメチャ・コメディの映画『アニマル・ハウス』(1978年)で一躍人気者になり、ジョン・ランディス監督と組んだ『ブルース・ブラザース』(1980年)のヒットで、映画スターとしての地位を固めた。

 時代もあったのだろうが、1970年代の中盤からドラッグに親しむようになり、やがて耽溺がひどくなって周囲を心配させる。それでもなんとか持ち直したと思われた矢先に突然訃報が届いた。

 『BELUSHI ベルーシ』はそんなベルーシの生涯を、豊富なアーカイブ映像とこれまで未公開だった音声テープ、友人たちの証言(冒頭、この映画に収録された多くのインタビューは、ベルーシの伝記本のためタナー・コルビーが行なったものという説明が出る)、そしてゴリラズのMVやNetflixのオリジナル作品「ロスト・ティーンエイジャー」、「ラブ、デス&ロボット」のキャラクター・デザインで知られるアニメーター、ロバート・バレーによるアニメーションなどで振り返るファン必見の一本だ。

これまで公開されたことのないインタビュー、映像、直筆の手紙や写真などにあふれているので、ベルーシのファンであれば絶対に見ておきたい

ベルーシの人生に沿ってところどころに表れるアニメーションは、ごく自然に作品と融合している

添い遂げた妻は高校時代からの恋人。彼女の協力が作品の大きな鍵に

 ベルーシが他界して早40年近く。ずいぶん時間が経った。この映画は、彼のもっとも近くで同じときを過ごしてきた妻のジュディス・ベルーシの協力で完成した一作なのである。

 本作の製作者ジョン・バトセック(アカデミー賞に輝いた音楽ドキュメンタリーの秀作「シュガーマン 奇跡に愛された男」/2012年・製作)が、ベルーシの妻ジュディスにはじめて会ったのは2006年ごろだった。彼はそこでベルーシの映画を作りたいと申し出るが、そのときはやさしく断られた。おそらくベルーシで一山当てようとする連中がまた現れた、くらいに思われたのだろう。

 パドセックはそれから1年に2度ほど彼女に電話をかけ、毎回準備ができていないと断られつづけるが、初めての依頼から10年ほどが経ったころ、本作の監督R・J・カトラーとバトセックが作ったドキュメンタリ―『マーロン・ブランドの肉声』(2015年)を見せると彼女はそれを気に入り、それがきっかけで以後ことが動き始めたという。

 『マーロン・ブランドの肉声』は、ブランドが生涯にわたって録音した数百時間の音声を下敷きに、彼の人生の流転を振りかえる体裁の作品だった。父親との確執、息子や娘の殺人と自殺。輝かしい俳優人生のスタートとその裏にあったもの。それは演じることは生きること、と語るブランドの反骨とある種のあきらめを生の声で伝える素晴らしい作品だった。

 カトラー監督は、『マーロン・ブランドの肉声』と同じように、声が物語を牽引してゆくことをジュディスに提案。それを受けた彼女はふたりを自宅の地下室に案内し、いくつもの箱に入った音声テープ、映像、手紙や写真といった思い出の品を提供した。50時間分の音声テープとプライベートな資料が、本作の中心になるのが決まった瞬間だった。

 ボブ・ウッドワードの評伝「ベルーシ最後の事件-ハリウッド・スターたちとドラッグの証言」(集英社)のときのような、スキャンダラスなイメージはここにはない。いや、なくはないのだけれど、中心は彼とジュディスのアマチュア時代の交流と、有名になってからも彼女のもとで羽根を休めるベルーシのプライベートな姿で、いままでの評伝にこういう作りのものはなかった。それがなんとも貴重に思えるのである。

ベルーシの人生を変えた「サタデー・ナイト・ライブ」との出会い

 本作を構成するのは、ベルーシが書いた手紙や詩、復元された8ミリと16ミリのポートレイト、1,000枚以上の写真から製作陣が選んだもので、結果、本作はたいへんに親密さにあふれたものになっている。

 高校時代にアメリカン・フットボールのラインバッカ―として活躍したもうひとつの顔。大学中退後は、1971年にシカゴの即興コメディ劇団「ザ・セカンド・シティ」に出演し、その後将来を夢見て、ガールフレンドのジュディスと共にニューヨークに出る。

 オフ・ブロードウェイのコメディ集団「ナショナル・ランプーン:レミングス」のオーディションに受かり、ジョー・コッカーの物真似などで人気を博す。そして1973年から75年にはラジオ番組「ナショナル・ランプーン・ラジオ・アワー」に出演。そして1975年にはNBCの新番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演する。コメディと音楽、政治へのイチャモン、映画ネタを詰め込んだ番組にしたかったプロデューサーのローン・マイケルズは、ランプーン出演者たちに声をかけ、ラジオ番組のフォーマットをそのままTV番組に持ち込んだ。

 「60年代の申し子よ。セックス、ドラッグ、ロックンロール。市民権やフェミニズム。それらを反映したTVなんてなかったの」(サタデー・ナイト・ライブ「=以後SNLと表記」の脚本家ロージー・シャスター)

 ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、チェビー・チェイス、ギルダ・ラドナー、ギャレット・モリス、ジェーン・カーティン、ラレイン・ニューマン。SNLの初期レギュラー7人は最初は全員まとめて連名でクレジットされていたが、放映が進むにつれ各人が独特の個性を発揮するようになり、クレジットもひとりづつとなる。番組の人気も上昇し、今日につづくSNLの人気が確立した。

 このあと、映画はベルーシに先んじて人気者になったチェビー・チェイスとのライバル関係や、彼が1年で番組を抜けたあとのベルーシの活躍を追ってゆく。

 SNLの人気キャストとなったブルース・ブラザース(ジェイク・ブルース=ジョン・ベルーシとエルウッド・ブルース=ダン・エイクロイド)の友情と冒険は、ふたりが番組を去った直後に公開された『ブルース・ブラザース』(1980年)で、キャブ・キャロウェイやジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、スティーヴ・クロッパーとくり広げた大騒ぎにもきちんと描かれていた。

ベルーシが立ち上げたバンド「ブルース・ブラザース」は、映画化されるほどの人気に。この作品が彼の成功を決定づけた

迫りくるドラッグの影と、成功の裏にあった苦悩

 このSNL時代に著名人との付き合いも増え、ドラッグを覚えたベルーシはますます高まる人気の陰で、精神のバランスを失ってゆく。

 それは『OH!ベルーシ絶体絶命』(1981年)に主演のころには抜き差しならぬものになっており、エイクロイドはジュディスらの助けを借りてなんとかベルーシを助けようとするが、それもままならない。そして……。

 映画の終盤はそれまでの明朗さが消え、映画のルックも暗く沈んだものだ。その昔、突然のベルーシの死を知った時は、なんてことをしたんだ、人生はまだこれからなのに、と思ったものだが、40年も経って考えてみると、これも運命だったと思うしかない。

 40年経ってこちらも死が近しげなものになり、少しのあきらめが生じているのだろう。
 アニメーションで描かれるベルーシの姿に、本物が宿っているのかもしれないとも考える。困難や怒りに直面すると、ベルーシは少年時代の姿に戻ってしまう。英語がうまく喋れずいつも暗い顔をして黙っていた父親を前に、下を向いて食卓についていた少年時代を思い出して。

 けれども我慢できずに、彼はおどけた姿もみせてしまうのだ。他人を笑わせ、しあわせにするために。

 最後にはジュディス・ベルーシの歌が流れる。♪これが人生。人生最良の日々。これが人生。おしまいよ、と。 

 『BELUSHI ベルーシ』は素晴らしい作品だった。若いひとにも見てもらいたい。昔こんな喜劇人が居て、いまも多くのひとに愛されていることがわかるだろう。

『BELUSHI ベルーシ』

12月17日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

監督・脚本:R・J・カトラー
アニメーション:ロバート・バレー
インタビュー:ジョン・ベルーシ/ダン・エイクロイド/チェビー・チェイス/キャリー・フィッシャー/ジュディス・ベルーシ
原題:BELUSHI
2020年/アメリカ/1時間48分
配給:アンプラグド
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