現在、角川シネマ有楽町、ところざわサクラタウンで上映中の「妖怪・特撮映画祭」の好評を受けて、KADOKAWAでは、トークイベント「特撮講座」を毎週木曜に行なうことを決定。これは、第一線で活躍している特撮スタッフが週替わりで登壇し、大映特撮作品(など)の魅力などを語るイベント。7月29日(木)にはその第一回が、角川シネマ有楽町で行なわれた。
初回に登壇したのは、視覚効果スタッフとして、『ゴジラVSビオランテ』『平成ガメラ三部作』『リング』『小さき勇者たち~ガメラ~』など数多くの作品を担当してきた松本肇氏だ。
松本氏が登壇したのは、『宇宙人東京に現わる』(1956 日本初の特撮カラー作品)の上映が終了してから。「スクリーンで観たのは30数年ぶりかな」と話しながら、まずは作品の感想をコメント。「大きな惑星がやってきて、なんの説明もなく天変地異が起きるでしょ。そこは東宝との違いかなと思った」という辛口なコメントのあとは、特撮的には、「銀座の街並み(セット)とかは、よくできているね」と絶賛していた。
松本氏が特撮の道を志すきっかけとなったのは、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966)とか、『ゴジラ』シリーズとの出会いだったそうで、横浜放送映画専門学校(現 日本映画大学)に進んだという。そして、就職活動をする際、掲示板に「デン・フィルム・エフェクト」という社名を見つけ、「あっここだ」と思い、面接を受け入社し、今に至るという。
専門学校では、監督やカメラマンを目指すというよりは、「怪獣映画が作りたくて、編集を志望した」そうだが、実際には特撮の講座はほとんどなく、外部講師を招いた特撮講座で、「佐川和夫さん(特撮監督)とか、山田孝さんの講座を受けて」、特撮への思いを強くして行ったのだという。
その後、デン・フィルム・エフェクトに入社するが、同社の業務は(簡潔に言えば)合成の素材を作るのがメインで、特撮部分の撮影に立ち会ったり、フィルムに光線を描いたり、合成のマスクを作成するのが主だったという。松本氏は、素材を撮影する撮影部に配属されて過ごしたそう。で、何をするのかというと、合成が必要なシーンを(壁に?)投影し、人物などの輪郭をなぞり、必要なところ(合成しない部分)を黒く塗りつぶす(=マスクを作る)という作業を1コマずつ行なう(撮影する)のだという。光線が必要な部分は、同じように1コマずつ手描きで光線を描き足していくそうだ。
一方で、そのマスク(フィルム)を事前に作り、撮影用のカメラに、フィルムマガジンを、未撮影、撮影済をそれぞれダブル、つまり合計4つ装着して撮影するWマガジン・バイパックという手法も行なっていたそうだ。
ちなみに、松本氏は『トロピカルミステリー青春共和国』(1984)冒頭の大映マークのオリジナル原画を撮影したそうで、ビスタサイズの映像が(おそらく)なかったことから、新規に撮影したという。その後、そのマークは平成ガメラ『ガメラ 大怪獣空中決戦』にも使われていたそう。
大映の特撮作品群の中で印象に残っているのは『大魔神』だそうで、ブルーバック合成はそれほど多くなく、あとは生合成という手法で撮影されている点を挙げ、感嘆していた。何をしているかと言えば、ミニチュアなどの特撮パートをいったん撮影。その後、フィルムをマガジンの中で巻き戻して(現像しない)、人物パートを、タイミングを合わせて重ね撮影する、というもの。松本氏曰く「恐ろしいものをやっていたんだな」。つまりタイミングがズレれば、特撮パートを含めて撮りなおしとなるからだ。まさに一発勝負の世界。
そんなアナログ(合成)時代を経て、現在はデジタル全盛となっているが、氏が手掛けた平成ガメラを例にすると、1作目(1995)はデジタルは15~20%だったものが、3作目(1999)になると逆転し90%はデジタルになっていたそう。わずか5年間で一気に日本にもデジタルの波が来た、と説明してくれた。
最後のデジタル合成になってのいい点、悪い点は? という質問には、「どちらも同じですね。どこからでも最初に戻れる反面、何度も作り直しができるので、とても労力がかかる」のだとか。「アナログ時代は何度も同じことはできないので、最終形のイメージは確固としていたし、緊張感があった」と当時を述懐していた。
ちなみに近作では、某大手動画配信サイトの作品に携わっているそうで、「来秋ごろには配信される」そう。
トークイベント「特撮講座」の次回は、8月5日(木)に開催。登壇者は、『首都喪失』や『大魔神カノン』などを手掛けた三池敏夫氏が登壇予定だ。