同世代ということもあり、ハイティーンの頃の私の周囲には中森明菜の歌が常に流れていた。テレビの歌番組、あるいはバラエティで彼女の歌声はよく耳にし、その歌唱力の高さに感心したものだ。かつてはLPも何枚か所持していたが、現在手元に残っているのは86年リリースの『CRIMSON』のみ(シングルバージョンとは異なる『駅』の素晴らしい歌唱が収録されているから)。そのいっぽうで、カバーアルバム『歌姫』シリーズは、バリエーションである『艶華−Enka−』も含めて5枚のCDを所持。中でも02年発表のセルフカバー集『歌姫〜ダブル・ディケイド』は、マスタリングの際にセシウムクロックを用いて高音質化を図った盤だった。
中森明菜の珠玉の歌唱を新たな形で届ける
こだわりのレコードが登場
今回ステレオサウンドからリリースされた『歌姫−ステレオサウンドコレクション』は、その歌姫シリーズの膨大なコレクションの中から珠玉の歌唱ナンバーを選りすぐり、全10曲を一連の「ステレオサウンド アナログレコードコレクション」シリーズでカッティングを手掛けてきた日本コロムビア所属の武沢茂氏の手によって、ノイマンVMS70カッティングマシンとSX74カッターヘッドにて製作された。マスターはユニバーサルミュージックが保管していたオリジナルマスター(デジタル・アーカイブ)であるのは言うまでもない。これを日本コロムビアのカスタムメイドDAW(デジタル編集機)で96kHz/24ビットでPCM変換し、アナログ領域にて最小限のイコライザー処理でカッティングを実施。プレスは東洋化成による180g重量盤だ。
『歌姫 -Stereo Sound Selection-/中森明菜』
(ユニバーサルミュージック/ステレオサウンドSSAR-048)¥8,000+税
●仕様:アナログレコード33 1/3回転180g重量盤
●カッティング エンジニア:武沢 茂(日本コロムビア株式会社)
収録曲/オリジナルアーティスト
[Side A]
1 I LOVE YOU/尾崎豊
2 なごり雪/イルカ
3 恋/松山千春
4 ベルベット・イースター(Live ver.)/荒井由実
5 Woman “Wの悲劇より”(Live ver.)/薬師丸ひろ子
[Side B]
1 シングル・アゲイン/竹内まりや
2 秋桜/山口百恵
3 愛はかげろう/雅夢
4 『いちご白書』をもう一度/バンバン
5 いい日旅立ち/山口百恵
●ご購入はこちら→https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/3360
●問合せ先:㈱ステレオサウンド 通販専用ダイヤル03(5716)3239
(受付時間:9:30〜18:00 土日祝日を除く)
改めて、中森明菜の魅力とは何だろう。天真爛漫で健康的なイメージが先行するアイドル歌手が多い中で、「不良性」をアピールした彼女は少々特殊なケースだったといっていいだろう。デビューからほどなくして、やや翳りのあるダークなイメージが定着した。自身のキャラクターに負う一面もあるが、芸能界での立ち位置は次第に独特となっていき、度重なるスタンドプレイ等もあって、いつしか“腫物を触る”ような扱いになった時期があったことは残念であった。外見や素行から受ける強気で傲慢、わがままな印象のいっぽうで、その実は華奢で繊細できわめてナイーブだったのだろう(何度となく体調不良による休養期間があったこともその裏付けである)。だが、そうした紆余曲折が、今日の中森明菜のガラスのようなか弱さと儚さを伴なった思慮深い表現力に結実していると私は思う。
まさしく波瀾万丈ではあったが、実力のある歌手だけに、再起を願うマスコミやファンの後押しもあって、今日まで何度となく最前線に返り咲いた。振り返ると、アイドルとしての全盛期は80年代で、90年代はいわば停滞期、そして2000年代がこの『歌姫』シリーズに真摯に取り組んだ、ある種の転換期といってよいと思う。
では、そんな中森明菜が真摯に打ち込んだ本カバー集LPの音を聴いてみよう。「I LOVE YOU」は、言わずと知れた尾崎豊の代表曲だが、中森明菜はここで過度に気負わず、むしろ気弱な表情すら覗かせる歌唱の意外性で迫る。しかしその克明な音像定位は、手を伸ばせばか細い体やその顔に触れられそうなリアリティ。ギターを軸としたストリングスの伴奏も、ハスキーな声を背後から支えるように響いてくる。
それに対して「なごり雪」は、やや可憐さを抱かせる歌唱だが、定位感は変わらない。フォーク調の伴奏も(リズムが少し立っているとはいえ)、イルカのオリジナルに対するリスペクトを感じる。松山千春のようなドラマチックな展開はないけれども、「恋」の歌唱も中森明菜の声の素直さが出ていてなかなかいい。
A面を聴いて感じるのは、中森明菜の歌を中心軸として据え、伴奏等をいたずらに目立たせずに全体のダイナミックレンジをコントロールするという、エンジニア武沢茂の達観による技だ。それはCDとは異なる味わいをもたらす。
B面最初の「シングル・アゲイン」はオリジナル曲のファンである私には、どうしても竹内まりやの歌唱を思い浮べて比べてしまうのだが、ここでの中森明菜の表現は、いい意味で感情を圧し殺し、詞の世界観をあまり深堀りせずに訥訥と歌っている印象。そのさり気なさがむしろ好ましく感じられる。
「秋桜」が本アルバムのハイライトといえるだろうか(ラストの『いい日旅立ち』を含め)。山口百恵の代表曲のひとつが、ストリングスオーケストラのドラマチックな伴奏を背に歌われるが、山口百恵に負けず劣らず、たっぷり哀切的に、要所で情念ともつかないセンチメンタリズムを湛えた歌唱を繰り広げる。
これはあくまで個人的な感傷だが、CD『歌姫3〜終幕』(03年)収録の「愛はかげろう」が本LPに収められたことは感涙ものであった。1980年ヤマハ・ポプコンで優秀曲賞を受賞した男性デュオ「雅夢(がむ)」のデビューシングルとなった本楽曲は、昭和フォークの隠れ名曲と私は認識しているのだが(当時で愛聴していた)、オリジナルの雰囲気と中森明菜のアルトの声域とが絶妙にマッチし、失恋の悲哀を切々と歌ったメランコリックな情景が目に浮かんでくるのである。この曲の伴奏のアレンジも、「秋桜」と同様に千住明。歌詞の世界観を浮かび上がらせる、実に巧みな素晴らしいオーケストレーションである。
ひと通り聴き終えて、10年以上に跨がる『歌姫』への取組みが、こうしてまた新たな形で私たちに届けられたことを嬉しく思う。
願わくば本LPがセールス好調となり、セルフカバー集の『歌姫〜ダブル・ディケイド』辺りもリマスタリングLP化されるとなお嬉しいのだけれど。