ソニーの「360 Reality Audio」は、オブジェクト方式の立体音響再現技術を活用した新しい音楽体験として2018年のIFAで発表された。視聴位置を取り囲む360度の全球上に複数のオブジェクトを配置し、それらを自在に動かすことができる技術で、すでにAmazon Music HDでも対応コンテンツが配信されている(Echo Studioで試聴可能)。そんな360 Reality Audioの新展開が、CES2021で発表された。今回はその詳細について、ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社V&S事業本部 事業開発部 統括部長 岡崎真治さん、担当部長 横山達也さん、事業開発部 コンテンツ開発課 花田 祐さんにお話を聞いた。(編集部)

麻倉 私は2018年のIFAで360 Reality Audioが発表されて以来、配信時代の立体音響体験技術としてずっと注目してきました。その間、スマホアプリへの展開や、Amazon Music HDでコンテンツ配信が始まるなど少しずつ成果が出てきていますが、今回のCES2021ではさらに大きな展開があると聞いています。さっそくその詳細をお聞かせ下さい。

岡崎 いつも360 Reality Audioをご紹介いただき、ありがとうございます。おかげさまで360 Reality Audioも具体的なソリューションが揃い始めました。まずは去年からのアップデートをご紹介させていただきます。

 そもそも360 Reality Audioは、自然で立体的な音作りを目指した音響技術を用いた新たな音楽体験です。そこでは、スピーカーを複数使ったサラウンド体験だけでなく、ヘッドホン等でのバーチャライズ体験も含まれています。再生空間という意味では、上下左右360度を使って音場を設定しています。

 フォーマットの特長としては、ヴォーカルやドラム、ギター、ピアノといった音源をオブジェクト化して、360度空間に配置して立体的な音響を作るという点です。また圧縮コーデックとして国際標準のMPEG-H 3Dオーディオに準拠しており、幅広い展開ができます。

麻倉 実際に楽曲を作る場合は、ヴォーカルやピアノなどの楽器をそれぞれ複数のマイクで収録していると思いますが、その場合にオブジェクトとしてはどう考えるのでしょうか?

岡崎 音源制作では128オブジェクトまで使えますので、マイクごとにオブジェクト化もできますし、ドラムの音をひとつにまとめたものをオブジェクトとして扱うことも可能です。それはミュージシャンやエンジニアの意図に応じて選択していただくことになります。

 音源の収録環境も通常と変わりはなく、特別に何かを加えていただく必要はありません。収録された音を、新たな体験、音場として楽しんでいただければという考え方になります。

麻倉 360度の収録をしなくとも、今までと同じ録音環境で、立体音響が制作できるわけですね。クリエイターにとっては嬉しいことだと思います。では、それを再現する手段は?

岡崎 現在はアマゾンさんの一体型スピーカー「Echo Studio」と、ソニーのアプリを使ったスマホ+ヘッドホンでお楽しみいただけます。ヘッドホン体験では、個人の聴覚特性をより正確に再現するために、アプリでユーザーの耳の写真を撮影し、弊社のデータベースを参照することで聴覚特性に合わせた体験を提供します。

麻倉 私もヘッドホン体験を試したことがありますが、立体音響としての効果はいまひとつはっきりしませんでした。包囲感の再現はそれなりにできてはいますが、前方定位が曖昧な印象です。

岡崎 前方定位は人の聴覚の一番研ぎ澄まされているところでもあり、かつ個人差も大きい部分です。その精度を高めるように、今後とも、引き続き頑張っていきたいと思います。バーチャル再生技術も、オブジェクトの場所をもっと正確に再現できるようブラッシュアップを進めています。スピーカーで実測したレベルに届くよう、鋭意努力している段階です。

麻倉 360 Reality Audio用に作られたコンテンツも増えているそうですが、今現在で曲数はどれくらいあるのでしょう?

岡崎 欧米でサービスを開始した2019年秋頃は1000曲ほどでしたが、2020年のクリスマスシーズンに360 Reality Audioを採用した楽曲が多く発売され、現在は約4000曲まで増えています。年末にはエルビス・プレスリーやホイットニー・ヒューストン、ペンタトニックスなど、新旧アーティストのクリスマス楽曲も出て好評でした。

麻倉 最近の楽曲はマルチトラックですから、オブジェクト用の素材にも活用できますが、プレスリーのような昔の曲はどうやって360 Reality Audioに変換したのですか?

岡崎 エルビス・プレスリーはミックス前の4ch音源が残っていました。それをA/D変換して360 Reality Audioとして仕上げています。

 また新しい試みとして、今回のCESのタイミングで映像付きの楽曲配信をスタートしました。ザラ・ラーソンの無観客ライブになります。「Artist Connection」という専用アプリをダウンロードしていただければ、このコンテンツをヘッドホン用の360 Reality Audioとして楽しめるようになっています。弊社のヘッドホンとヘッドホン用アプリも組み合わせていただけるとよりよい状態で立体音響が再生できます。

麻倉 ソニー製スマホだけでなく、iPhoneでも使えるアプリなんですね。

岡崎 はい、OSの世代によりますが、基本的にはiOSでもアンドロイドでもお使いいただけます。

麻倉 そこまで具体的になってきたということは、コンテンツの制作環境も整ってきた?

岡崎 「360 Reality Audio Creative Suite」という新しい制作ツールを開発しました。これまで360 Reality Audioの音源制作にはソニーが提供する「アーキテクト」が必要でした。しかし今回の360 Reality Audio Creative Suiteは、Pro Toolsなどのプラグインとして使えるようになります。

麻倉 これまではソニーの純正開発ツールですべてを行っていたけれど、今回からプラグインソフトで360 Reality Audioが制作できるようになったということですね。

岡崎 おっしゃる通りです。制作スタジオもアメリカ、イギリス、ドイツなどで導入が進んでおり、日本でもソニー・ミュージックの乃木坂スタジオやソニーPCLのスタジオなどで使用しています。

花田 実際の360 Reality Audio Creative Suiteでの制作手法としては、Pro Toolsなどに48kHz/24ビットのオブジェクト音源を取り込んで、それを360度空間のどこに配置するかを画面上で決めていきます。

麻倉 音源は48kHz/24ビットまでなのでしょうか?

花田 360 Reality Audio Music Formatの規格として、オブジェクトは48kHz/24ビットで取り込むと決まっています。もちろんエンジニアさんからは96kHzとか32ビットデータも使いたいという声もいただいていますので、検討したいと思います。

岡崎 この仕様は、サービスプロバイダーさんの帯域を考えた結果です。現在の多くの配信サービスのビットレートは320kbpsくらいですが、360 Reality Audioでは640kbps以上を推奨しています。ハイレゾにするともっとデータ量が増えてしまうので、そこが難しい。5Gが普及したらハイレゾ化も実現できるかもしれません。

花田 オブジェクトの動き自体は、Pro Tools上のアジマス角度を設定することで、タイムラインに沿って決めることができます。この操作はエンジニアさんには馴染みがある方法ですので、2chからの移行もスムーズにできるのではないかと思います。

麻倉 操作面では、これまでのツールよりも使いやすいのですか?

花田 アーキテクトでは音の編集で難しい部分がありました。音を動かしている途中でエフェクトや音のトリートメントをしたいと思ったら、一度Pro Toolsに戻ってレベルを調整しなくてはいけなかったのです。でも今回はそういった手間は必要ないので、作業時間的にも改善されるはずです。

麻倉 この操作画面がVRで立体化できると面白いですね。クリエイターがさらに直感的に音を立体配置できるようになりますよ。

花田 いいアイデアですね。現在は視点の切り替えで対応していますが、ビジュアルティの改善はこれからのテーマですから、参考にさせていただきます。他にもミキサービューというモードも準備してあり、ここでは前後左右の視点から音の配置を確認できますので、音のかぶりも避けられます。

麻倉 360 Reality Audio Creative Suiteは、ミキシングルームで音を聴きながら操作するイメージで作られているのですね。

花田 再生環境に応じて2chから13chまで、どの状態でもモニター可能です。ヘッドホン用の聴感補正を加えた音源も確認できるようになっています。

 私はスタジオでミキサーやエンジニアと一緒に作業することが多いのですが、最近のユーザーはイヤホンやヘッドホンで聴くことがほとんどなので、そういった時にどう聞こえるか確認したい、どんな環境で聞かれても破綻しないようにしたいという話が必ず出ます。そういった要望を踏まえて、弊社としてもヘッドホン再生はしっかりサポートしています。

岡崎 編集アプリについては、Pro Toolsの他にAAXやVST3という規格もあり、クリエイター、ミュージシャンではこれらを好んで使っている方も多くいらっしゃいます。

 360 Reality Audio Creative Suiteは様々なアプリでもプラグインとして機能しますので、そういった皆さんにもお使いいただけるようになっています。これまで、オブジェクトを使った立体音響のミックスはハードルが高かったので、多くの方に喜んでいただけるのではないでしょうか。

麻倉 最近は宅録も流行っていますが、そういった環境でも360 Reality Audioのコンテンツが制作できるようになると、立体音響の捉え方も変わってきますね。

花田 極端な話、ラップトップとホストのステーション、ヘッドホンがあれば360 Reality Audioのコンテンツが作れるようになります。生録も打ち込みもどちらも編集できますので、幅は広がると思います。

麻倉 先ほど1年で4000曲まで増えたとおっしゃっていましたが、360 Reality Audio用に収録された曲はどれくらいあるのでしょうか?

岡崎 新曲を作る際に、2ch用と360 Reality Audio用を同時に作ってみたいという方も多いのです。直近では1000曲ほどは360 Reality Audio用として録音されています。

麻倉 それらの中で、クリエイターさん自身が盛り上がった曲、気に入っていたコンテンツはありましたか?

岡崎 Paul Epworthさんという方が、360 Reality Audioを気にいってくれて、楽曲をAmazon Music HDやDeezer、TIDALにアップしてくれました。やはり自分で音楽を作っている方は、360 Reality Audioを気に入ってくれることが多いですね。そこから周りに紹介してくれて、曲が増えていったという経緯もあります。

麻倉 360 Reality Audioは、オブジェクトが動くところが面白いのですが、クラシックなどはそういう編集は難しいと思います。クラシックで360 Reality Audioを活かす方法はどんなものだとお考えでしょうか。

岡崎 今まさに、国内のオーケストラの方にご協力いただいて、クラシックの楽曲でどんなことができるかを探っていこうという試みを始めたところです。

横山 私はその録音現場に立ち会いましたが、360 Reality Audioならこういった効果が出来るのではないかと思い、マイキングも色々と変えてみました。臨場感、包まれた雰囲気を再現するということであれば、オーケストラの後にマイクを置いて広く録ることも必要です。それによって演奏の中心で聞いているような音場も再現出来ます。またアンビエントマイクの数を増やすといった工夫もできそうです。それらの実証実験を含めてこれからトライしていくところです。

麻倉 問題はそれらの楽曲をどうやって多くの人に聴いてもらうかです。360 Reality Audioの再生はアマゾンEcho Studioに先を越されてしまいましたが、本家のソニーとして、音質にきちんとこだわった製品が必要でしょう。

岡崎 360 Reality Audioを体験いただける商品としては、昨年のCESで展示した一体型スピーカー「SRS-RA5000」「SRS-RA3000」が、まずは欧州・アジアで発売になります。

 また他社様向けのヘッドホンバーチャル技術のライセンスも進めていますので、他社様のヘッドホンでも360 Reality Audioを楽しめるようになっていくと期待しています。その際には耳の形で最適化するアプリも同時に提供することになるでしょう。

 もちろんスマホで再生できるようなライセンスも進めていますし、サウンドバーや、VISION-Sのような車載システムも有力なアイテムです。

麻倉 一体型システムやヘッドホンもいいけれど、オーディオビジュアルファンとしては、立体音響というからにはAVセンターに搭載して欲しい! その予定はないのですか?

横山 今年のCESでマッキントッシュさんから360 Reality Audio対応のAVレシーバー「MX123」が発表されました。今後はライセンス展開のひとつとしてAVセンターも考えていきます。

麻倉 ソニーにはAVセンターがあるのだから、ライセンス提供だけではなく、自社製品にも搭載しないと駄目でしょう。ソニーが他社に先駆けないと、360 Reality Audioも前に進んでいきませんよ!

横山 はい。より多くのユーザーに360 Reality Audioを体験いただくために、ソニーからも幅広い商品を展開することを考えています。是非、ご期待いただけたらと思います。

今回のリモートインタビューに協力いただいた、ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社 V&S事業本部 事業開発部の皆さん。左下段が統括部長の岡崎真治さん、中央下段が担当部長の横山達也さん、右はコンテンツ開発課の花田 祐さん

Paul Epworth x 360 Reality Audio

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