「神」の存在に、あなたは気づけるか
終電を逃し、東京・京王線の明大前駅改札で出会った21歳の大学生、麦(菅田将暉)と絹(有村架純)。同じく終電にあぶれたほかの客と一緒に終夜営業の喫茶店に入ったふたりは、なんとそこで向こうのテーブルに座っている「神」を目撃する。
最高すぎる。この場面! 見かけはまあそれほど神々しくない神だけれど、ここで試写会場内が映画『十戒』の海のように、意表を突かれて笑うひとと、ぽかんとするひとのふたつに割れたのが凄かった。どちらの反応が上というわけではないですよ。
でも麦が“世界水準”と表現するこの神さまの登場シーンが映画の踏み絵になっているのだ。俺って、わたしっておたくなのかもしれないな、と思うひとにとって、冒頭に「神」がソファに座っているこのちいさなラヴストーリーは長く心に残るものになるだろう。
同時に、おたくってなんだろうとも考える。良識の範囲内でバランスが崩れ何かに熱中しているひとだ。それによって充足を得ているひとのことだ。なんだ、普通のひとじゃん。何かを研究しているひと。一所懸命仕事をしているひと。好きなことに愛情を注ぎ、工夫をしているひと。世界はおたくが動かしている。そう考えると、映画の間口は広がってくる。
人となりが丸見えとなる本棚やレコード棚は、
恋愛黎明期の重要な「判定ポイント」
ほかにも好きな場面がいくつかある。ひとつは麦のアパートを訪ねた絹が、彼の本棚を見てニヤニヤするシーンだ。最近は本も音楽もスマホに入れているひとが多いから、こういう行為にどれくらい現実味があるか分からないけれど、ぼくらおっさんの世代では付き合う前に女の子の部屋に行って本棚やレコード棚を見るのはそうとうにドキドキな出来事だった。
そこにフランスの作家ル・クレジオの「物質的恍惚」や「大洪水」、当時人気だったカート・ヴォネガット・ジュニアの「タイタンの妖女」、稲垣足穂選集なんかがあったら、むむむむー。立てかけられたLPジャケットの背表紙を右から左に追うのも楽しみだった。右から見るのはよく聴くレコードが右側に置かれることが多いから。そこまで考えているのに、たいていはむむむむーのあとフラれるわけだけれど。
絹は三浦しをんや宮沢賢治、大友克洋の大判『AKIRA』とかが並ぶ麦の本棚を眺めながら「ほぼウチの本棚じゃん」と独りごちるわけだが、恋愛に向かうときにひとはなぜ相手との共通項を探したくなるのか。
それはたぶん、無意識の共感を目に見える共通項として顕在化させたくなるためではないだろうか。一緒にご飯を食べたくなったり、映画やコンサートを観に行ったりするのもそう。同じ空間で同じことをするのが幸せに感じられるのだ。
おんなじコンバースのスニーカーを履いていることに気づいた麦と絹は、国立科学博物館のミイラ展デートに出かける。何度目かのデートの帰りにファミレスに入り、互いにテーブルの上に置かれたチョコレートパフェの写メを撮りながら、スマホの画面に写った相手に「ぼくとつきあってくれませんか?」「はい、ぜひ」(ニコッ)という場面も可愛らしくてとてもいい。
カメラのピントがチョコパフェから、相手に移る。恋のはじまりを告げるいいショットだと思う。
男女間でも、男同士や女同士、人種が異なっても、人間と異星人でもいいや。日常のなかに非日常が形作られる恋というものはメチャクチャに面白いからなあ。
オキシトシンの分泌が止まらない! 夢のように幸せな同棲生活がはじまる
なぜひとは痛い思いをしても恋におちてしまうのだろう。脳内には1,000億個を越える神経細胞があると言われ、さまざまなホルモンが、細胞同士が情報をやりとりするのに必要な伝達物質として働いている。ドーパミン(成功・快楽ホルモン)やアドレナリン(警戒、興奮、やる気ホルモン)、セロトニン(安らぎホルモン)と呼ばれるものたちだ。
そのひとつに脳の視床下部から分泌されるオキシトシンという物質があって、これは絆ホルモンとも呼ばれている。ご主人さまを見上げる犬と飼い主の両方に放出され、また猫は信頼する相手にマッサージされると大量に分泌してしまうのだとか。ごろごろ状態になってしまうわけですね。
このオキシトシンは見つめ合うこと、触れ合うことで多く分泌されるので、恋の多幸感にはこれが関係している気がする。終電近くの改札口で見つめ合っているカップルも、ベッドでいちゃいちゃしているふたりも、このオキシトシンに操られているのかもしれない。
家に帰るとマッパという全裸族のひとがそのままベッドで眠るのが気持ちいいと言うのも、シーツが肌に直接触れてオキシトシンが出ているのだと思う。人間には肌の下にC触覚繊維という器官があって、それが何かに触れると安らぎを覚えるのだ。
川のそばのマンションで同棲を始め、バロンと名付ける黒猫を拾い、それぞれアルバイトをしながら麦と絹の幸せな生活がつづく。2015年から2020年の5年間の日々。ちゃんとふつうにセックスが描かれるのもいいな。オキシトシンが出るシーンなのだし、男も女も猿みたいにしちゃう時期があるわけだし。ストリートビューのお、おおー! の使い方も楽しくて、笑える。
ときは巡り、ふたりの恋はやがて変わってゆくのだが、この描き方も誠実だと思う。絹と麦はかつて告白をしたファミレスの別の席に座る――。
「神」を含め、登場人物が数人しかいない小宇宙での物語。でもそのなかで恋のビッグバンからビッグクランチ(特異点への収束。そこからまた新しい宇宙が生まれるともいわれる物理学理論)までを描いた作品なのだ。
菅田将暉も有村架純も好演。2015年の場面。深夜の2時くらいだろうか、ふたりが入った居酒屋は若い客で7割方埋まっている。やってられないよな。早く新型コロナが収まって、こういう日常が戻らないと若者たちがかわいそうだ。当たり前の恋、当たり前の情景が帰ってくることを改めて願いたくなる。
『花束みたいな恋をした』
監督:土井裕泰
出演:菅田将暉/有村架純 他
脚本:坂元裕二
2020年/日本/2時間4分
配給:東京テアトル、リトルモア
1月29日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開
(C) 2021『花束みたいな恋をした』製作委員会