映画評論家 久保田明さんが注目する、きらりと光る名作を毎月、公開に合わせてタイムリーに紹介する映画コラム【コレミヨ映画館】の第45回をお送りします。今回取り上げるのは、久保田さんの連載『先取りシネマ vol.11』でもお伝えした『TENET テネット』。時間軸が入り乱れ、展開の流れを把握するのが難しい同作について、なぜそうなっているのかということを、久保田さんがアレヤコレヤと考察してみました。とくとご賞味ください。(Stereo Sound ONLINE 編集部)

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『TENET テネット』
全国公開中

 先月の18日から公開され、東京・池袋のグランドシネマサンシャインでは全世界のIMAX劇場における歴代1位のオープニング興行収入を記録したと伝えられたクリストファー・ノーラン監督の最新作『TENET テネット』。みなさんはもうご覧になられただろうか。

 なにせ時間逆転世界が横入りしながら敵味方が入り乱れる大アクション篇だから、『インセプション』の画面奥から爆走してきた列車に跳ね飛ばされるように、凄いけれど振り返るとよく分からないというのが正直なところのはず。みんなそう。

 そこで先日の「先取りシネマ」でのファースト・インプレッションにつづいて、今回はより踏み込んだ『TENET テネット』考察に挑んでみよう。もちろん公式の見解ではなく、ぼくが勝手に考えたものだから、お前それ違うだろもあるかもしれない。ぜひあなたが考えた推論と照らし合わせてほしい。

 では行きますよ。絶対に絶対に、映画を観てから読んでね、でお願いします!

●オープニングのワーナー映画とシンコピーのロゴはなぜヘンなものになっていたのか。

 ワーナー・ブラザース映画のロゴは赤、ノーランが妻のエマ・トーマスと2001年に設立した製作会社シンコピー(失神の意)のロゴは青に染色されていました。

 作り手が立てるこういうフラグは必ずなにかを先導、象徴しているわけで、ご存知の通り赤と青は時間回転ドアの場面で順行(赤)と逆行(青)を表わすサインでした。

 逆行空間に入った人間は呼吸ができなくなるので酸素マスクを装着しなければならないという理屈と同じく、まあ、この赤と青の区分けは観客にひと目で登場人物の立ち位置、敵味方の違いを伝えるための映画的なシグナルですね。トンネル内にあるものを並行移動させる逆行空間で呼吸だけが不可能になるということはないでしょうし。

 待てよ。回転ドアを通るものしか逆行空間に送り出せない、という説明がなかったっけ。とするとTENET軍の司令船はなぜあの大きさで波間を逆に進んでいたのだ? いや、逆行空間から順行の事物を眺めると逆再生の形で見えるのだから、あれはあれで問題ないのか。

 あ~、頭が痛い。脳味噌のシワのようなシンコピーのロゴマーク。ノーランが敬愛するキューブリック監督『シャイニング』の迷路のように見えるのですが、どんなものでしょうか。

●未来世界ではなにが起こっていたのか。

 地球全体の時間を逆行させることであらゆる生物を死滅させる最終兵器アルゴリズムをふたつの勢力が奪い合っていました。米英を中心にした西側の資本主義陣営と、東側の社会主義陣営なのでしょうか。環境破壊に耐えきれなくなったグループが歴史をリスタートさせようと過去に9つに分解されたアルゴリズムを送り、旧ソ連邦の見捨てられた町スタルスク12で若かりしころのセイターがそのひとつ(あるいは未来からの契約書)を発見します。

 セイター(ケネス・ブラナー)はその示唆に従ってアルゴリズムの破片を集め、同時に組み立てた回転ドアを利用して富を築いたのでしょう。

 本当はぼんやりとした敵ではなく、中国との最終核戦争で壊滅したアメリカ本土を舞台にした人気ゲーム「フォールアウト」シリーズくらいのリアリティがあると、映画がさらにハネるのですが。

 『TENET テネット』は中国でもヒットを飛ばしていますから、そんな設定は無理か。現実はいろいろ大変です。

●それでも未来がよく分からない。

『TENET テネット』の時間旅行は、一般的な瞬時に時間軸をワープするものではなく、2日前に戻るには実際に同じ時間をかけないとだめ。逆行するだけで未来へは行けません。延々と後ろ向きに歩く遠足をつづけるようなものですね。

 その世界では逆転銃のように結果(着弾)があって原因(発射)に遡るわけですから、アルゴリズムを送リ出す時点で悲惨な現実が目前に迫っていたのでしょうか。でもその時点でセイターが過去に爆弾を起動させ世界を滅ぼしていると仮定すると別のタイムラインが生まれてしまうし、未来がつづいていた(結果)ということはセイターの計画は最初から失敗する運命だったことになります。

 ぼくは究極兵器アルゴリズムを過去の世界へ送り出して覇権を握ろうとしていたふたつの勢力も、スタルスク12で被爆し癌を発症したセイターが暴走することは予測できなかったのでは? と考えています。ハイドロカタマラン(双胴船ヨット)を爆走させたりしているケネス・ブラナーはえらい元気そうですが。

 いや、癌を発症するセイターは時間線のずっと先にいるのか。このへんのタイムラインはマジ、分かりません。もう一度映画館へ行ってみますね。

●結局『TENET テネット』はどの映画ジャンルに属するのか。

 現象には見応えがありますし、とんでもないヴィジュアル・エンターテインメントだと思いますが、SFではないですよね。逆転ドアの構造などに具体的な理屈がついていませんから。あえて言えば、魔法があるからあるという世界観のファンタジーに近いです。『インセプション』に比べると、構成がゆるいですね。

 『女王陛下の007』や『007/私を愛したスパイ』が好きだと公言しているように、作りたかったのは世界を駆ける往年のスパイ映画だったのでしょう。

 名も無き男(ジョン・デイヴィッド)の身なりを一瞥した情報通の英国人クロスビー(マイケル・ケイン)は、その服はブルックス・ブラザースか、もっといいのを仕立ててスーツで世界を救うんだとブラックカードを渡します。

 上から下までばっちりキメてセイターの妻(エリザベス・デビッキ)に会ったら、時計も靴もスーツも一流品なのに分不相応ね、と言われてしまい、食事の席で「妻とはもう寝たか?」と問われたセイターに残念ながらまだ、と答えると「どう死にたい?」と言われ、老衰で、と返したりします。

 このあたりのやりとりが生むユーモアはスパイ映画によくあるもの。そのあと海に飛び込むとはいえ、ヒロインのデビッキが最後の最後に白い水着を着てシャワーを浴びているのは『007/ドクター・ノオ』(1962年)の初代ボンドガール、ウルスラ・アンドレスのアダプテーション(翻案)ですし、ジャンボ機から金の延べ棒がばらまかれるのは『黄金の七人』(1965年)のパロディでしょう。

 でもノーランは本来クスッと笑えるこういう演出はあまり上手くないんですよね。その周りにぎゅうぎゅうに情報が詰まり、観客の側にそれを楽しむ余裕がないせいかもしれませんが。

 役者では英国諜報員ニール役のロバート・パティンソンがそのドラマチックな運命も含めてとても良かったですね。カッコいいし、色気もあるし。撮影中のDC映画『ザ・バットマン』に俄然期待です。

 ダニエル・クレイグ後のジェームズ・ボンドはこのひとでもいいのでは? と思ったほど。ボンド役はイギリス/アイルランド出身俳優が原則という条件にも合っているしどうでしょう。

【追記】
 原稿を出した翌朝、雨の音で目が覚めうつらうつらしている時に思い出したのですが、アルゴリズムを過去へ送り出したのはそれを開発した科学者で、『TENET テネット』は9つに分解され隠されたその装置の最後のひとつ「プルトニウム241」を、覇権を争う陣営が同じく近未来から送った時間逆転ガジェットを利用して奪い合うストーリーでした。文章があやふやでしたね、すいません。

 もうひとつ気がつきました。この映画、1970年生まれのノーランがリアルタイムで観ていたロジャー・ムーア版007の影響をめちゃくちゃに受けてますね。送られてきた黄金の銃弾が物語の発端になる『黄金銃を持つ男』とか、オークションをきっかけにボンドがインドの富豪のもとへ向かう『オクトパシー』とか。

 ニールが「今回は少し派手にいく」と語って始まるジャンボジェット大激突も派手なわりにはそれほど効果はなく、そのへんの脱力感(褒め言葉ですよ)もムーア版007に似ています。

 2度観ると、主人公が拷問を受ける冒頭の線路の場面もよかったですね。右と左から2本の列車(順行と逆行)が交差し、これが物語の前ふりになっていたという。『TENET テネット』、まだまだ秘密が隠されていそうです。

『TENET テネット』

池袋グランドシネマサンシャイン、TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
出演:ジョン・デイヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ケネス・ブラナー、アーロン=テイラー・ジョンソン
原題:TENET
配給:ワーナー・ブラザース映画
2020年/アメリカ/IMAX、ビスタサイズ/150分
(C)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/tenetmovie/index.html

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