「恐るべき子ども」と呼ばれた彼が追い続けるテーマとは

 2009年、20歳になったばかりのときに、母の愛への渇望と拒絶を描いた第1作『マイ・マザー』を演出、脚本、主演、製作で発表。カンヌ映画祭で評判を呼び、その後も創意に富んだ意欲作を放ってアンファン・テリブル(恐るべき子ども)と呼ばれたグザヴィエ・ドラン7本目の監督作品『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』が公開される。

 1989年3月20日、フランス語文化圏であるカナダのモントリオール生まれ。今年31歳になるドランのキャリアは、1.演出と主演を兼ねたもの(『マイ・マザー』『胸騒ぎの恋人』『トム・アット・ザ・ファーム』)、2.演出のみのもの(『わたしはロランス』『Mommy/マミー』『たかが世界の終わり』)、3.役者としての出演のみのもの(精神病棟の患者を演じた『エレファント・ソング』や、同性愛の矯正施設で出会う青年に扮した『ある少年の告白』、惨劇の再開を予告し殺される青年『IT/イット THE END“それ”が見えたら、終わり。』など)の3つに分けられる。この『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』は2番めのカテゴリー、演出と脚本、そしてほかの監督作品と同様に編集と衣装にも注力をした一本だ。

早熟した才能で世界を驚かせたドランも、もう30歳を超えた。監督としても役者としても活躍し続け、その勢いは未だ衰えていない

3月13日(金)公開の『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』。ニューヨークで突然謎の死を遂げた若手スター。彼が密かに育んでいた少年との交流が、10年の時を経て明かされる……

 出演は主人公の人気TV俳優ドノヴァンに『ゲーム・オブ・スローンズ』のジョン・スノウ役で知られるキット・ハリントン。彼に憧れ、10年前にファンレターを出した少年ルパートに『ルーム』『ワンダー 君は太陽』のジェイコブ・トレンブレイくん。成長した現在のルパートに、『エンテベ空港の7日間』でイスラエルの特殊部隊兵士を演じていたベン・シュネッツァー。

 そこに双方の母親役で、ナタリー・ポートマンとスーザン・サランドンが絡み、『ミザリー』のキャシー・ベイツも「ファック!」が口癖のドノヴァンの老獪マネージャーあるある(これが可笑しい)で顔を見せる。グザヴィエ・ドラン初めての英語作品であり、ポピュラーな俳優が顔を揃えている。ニューヨークやロンドンでのロケ撮影も行なわれた一歩踏み出した作品なのだ。

ドノヴァンの役のキット・ハリントンは、自身もTVシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』で世界的に有名になっており、主人公と共通点がある。インタビューで彼は「僕らの業界には、ジョン(・ドノヴァン)のような俳優が大勢います。彼らは、とても苦しんでいるのです」と語っている

『ルーム』や『ワンダー 君は太陽』で観客の涙を誘ったジェイコブ・トレンブレイは2006年生まれ。本作では少年時代のルパートを演じる。母に連れられアメリカからロンドンへ引っ越すが、子役をやっていた影響でクラスメイトからいじめられ、周囲に心を閉ざすルパート。彼はドノヴァンに何を見たのか

 マージナルな場所(それぞれの集団の境界)にいる人間。協調を乱すものとしてしばしば目の敵=スケープ・ゴートにされる青年の物語。父親の不在と、機能不全に陥った家族。そして母親と自身に対するアンビバレンツな感情。

 『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』も底にあるものは過去の作品と同じだ。またゲイ・セクシュアリティと母親にまつわるお話なの? とやんわり非難されることもあるけれど、マジョリティである側も異性愛を再生産しつづけているのだから大きな違いはない。まあ、ひとことでいえば、世の中いろいろなのよ。表現はそれを考察、確認、楽しむためにあるのよ。

レオナルド・ディカプリオに憧れた8歳の少年。その思いが形になった

 映画は2016年、チェコの首都プラハにあるカフェを舞台に始まる。新進男優のルパート・ターナー(シュネッツァー)が、ジャーナリストのオードリー(タンディ・ニュートン)からインタビューを受ける。それはルパートが少年時代に憧れ、のち不可解な死を遂げた人気俳優のジョン・F・ドノヴァン(ハリントン)とやり取りをした手紙と思い出にまつわる取材だった。現在と過去を往復しながら、傷つき夢をみたドノヴァンとルパートの関係が語られてゆく。

 ルパートとオードリーが向き合うこのカフェの場面には、特徴的な撮影手法が採用されている。被写界深度が極めて浅く、対象以外は手前も奥も盛大にボケて、現実感が薄れた画面なのだ。

 ルパート少年(トレンブレイ)と母親(ポートマン)がロンドンの裏通りで駆け寄り抱き合うシーンや、ドノヴァンがかつて関係を持った男ウィル(クリス・ジルカ)のアパートを訪ね、「恥じているのはぼくじゃない。君なんだ」と言われて拒絶される場面にも、同じ撮影法が使われている。なぜこのような演出を施したのだろうか。

ルパートの母役にナタリー・ポートマン。雑踏のなかでふたりが駆け寄るシーンは印象的だ

 それはこの『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』が、親密さ(インティマシー)にまつわる物語だからだろう。『タイタニック』(1997年)に感動したドランが8歳のときにレオナルド・ディカプリオに宛てたファンレターから着想を得たという物語。返事が来ていないかと何度も自宅の郵便ポストを覗いただろうし、スクリーンの向こう側のスターと自分の間の細い糸を夢想したことだろう。相手のことを思い、文をしたためるという親密な行為。

 衝突し、すれ違うばかりだった『わたしはロランス』や『Mommy/マミー』と比べると、今回は深く強く刺さってくるものが薄いと感じるファンもいるかもしれない。けれどもぼくは、自分と相手だけにピントが合い、周囲の事物が幽霊のようにボヤケてしまうこの物語を愛したいと思う。

 鳥が羽を休めるように。若き天才と謳われたグザヴィエ・ドランが改めて自分と世界の親愛を見つめた作品のように思えるのだ。

撮影にも音楽にもこだわる、完璧主義な監督

 撮影監督は『トム・アット・ザ・ファーム』『Mommy/マミー』『たかが世界の終わり』、そして幼馴染みの青年ふたりの友情と愛を描いた最新作の『マティアス・アンド・マキシム』(2019年、原題)でも組んだアンドレ・テュルパン。『Mommy/マミー』で、あの正方形→ビスタ→正方形の驚異的な画角設計をドランに提案した人物だ。

 ドランはフィルム撮影にこだわる映画人で、Arriflex 435、パナヴィジョンのPanaflex Millennium XL2などの35ミリ・フィルムカメラだけを使って作品を作りつづけている。

 『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』には35ミリと65ミリ撮影の表記があり、おそらく『シャッター・アイランド』(撮影ロバート・リチャードソン)や『ゼロ・グラビティ』(撮影エマニュエル・ルベツキ)に使われた65ミリ・フィルムカメラの名機Arriflex 765が利用されたと思われる。手がかかるけれど、自分の絵筆は愛情を注ぐことのできるフィルムカメラで、と考えているのだろう。

視覚効果や照明に詳しく、撮影現場では実際にファインダーを覗いて撮影監督の大部分の仕事をするというドラン。撮影監督のアンドレ・テュルパンは、自分のことを“監督の解説者”だと語る

 ナタリー・バイ、スザンヌ・クレマン、ヴァンサン・カッセルとギャスパー・ウリエル、アンヌ・ドルヴァルらドラン作品の俳優たちが出演し、その創作と演出の秘密を明かすTVドキュメンタリー『バウンド・インポッシブル』(2016年)で、カメラマンのテュルパンはドランが撮影前に音楽を聴かせて、俳優やスタッフにイメージを伝えることがあると語っている。

 フィーヴァー・レイ(スウェーデンのエレクトロニック・デュオ、ザ・ナイフのカリン・ドライヤーによるソロ・プロジェクト)やキム・カーンズの「ベティ・デイビスの涙」を使った『わたしはロランス』。セリーヌ・ディオンやオアシス(前述の正方形→ビスタの名場面に「ワンダーウォール」が朗々と流れる!)、シンガソングライターのラナ・デル・レイのヒット曲「ボーン・トゥ・ダイ」がエンディングを飾る『Mommy/マミー』など、セレクトされたポップ・チューンもドラン作品に触れる楽しみのひとつだった。

 「自分の映画ではいつも、登場人物と観客の両方がぼくの好きな曲を聴いているんだ」と語るドランが『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のオープニングに用意したのは、イギリスのシンガーソングライター、アデルの2010年秋の大ヒット曲「ローリング・イン・ザ・ディープ」(グラミー最優秀レコード賞受賞。アレサ・フランクリンなどもカヴァーしたソウルフルな名曲)だ。

 『007 スカイフォール』のテーマ曲を歌ったことでも知られるアデルはドランお気に入りのシンガーで、2015年にはテュルパンと組んで「Hello」の6分強あるPVをIMAXカメラで撮るという挑戦をしている。ビロードのような手触りの、セピアカラーでまとめられた短篇映画だった。

 ほかにもグリーン・デイの「ジーザス・オブ・サヴァービア」や、フローレンス・アンド・ザ・マシーンの「スタンド・バイ・ミー」(ゲーム、「ファイナルファンタジーXV」のために録られた曲だとか)が流れる『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』。

 ドランはお手製のカセットテープ(死語、か)みたいに最後の曲をキメてくるからと待ち構えていたら、プラハの大通り、ラストシーンのバイクふたり乗りに流れてきたのはブリティッシュ・ロックのあの名曲だよ! 死ぬ! アンコールでお待ちかねの曲がドカンと来たよう。ドランくん、これは反則! 点数あがる。

突然現れる颯爽としたバイクは、曲と相まって観る者を痺れさせる!

 この『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』、実は『ゼロ・ダーク・サーティ』や『ツリー・オブ・ライフ』のジェシカ・チャステインがゴシップ誌の記者役で出演するはずだった。撮影もすべて終わっていたのだが、ストーリーの流れにそぐわないという判断で全場面をカット。チャステインも納得の上の作業だったという。

 その一方で、終盤に役名もない不思議な老人が登場し、手紙を書いているドノヴァンに「物事はシンプルなのに、人間はそれを複雑にしてしまうんだ」と、禅問答のようなことを言う。

 この精霊のようなおじさんを演じているのはアイルランド出身のベテラン男優、マイケル・ガンボン。『ハリー・ポッター』シリーズのケベック・フランス語版でロンの吹き替えを務めているドランは、ガンボン演じるホグワーツ魔法学校の校長先生ダンブルドア(ゲイという裏設定がある)の大ファンで、2016年ごろには腕に『ハリー・ポッターと死の秘宝part2』での「言葉とは尽きることのない魔法の源だ。他人を傷つけることもできれば、癒やすこともできる」というダンブルドアの台詞と、大きな顔のタトゥを入れている。

 幼いころディカプリオに送った手紙、憧れの存在への思いはいまも変わっていないのだろう。ダンブルドアとドランの間に流れるのも親密さ。その気配が観るものを幸せにさせる。

大変わかりづらいが、左腕の肘から下に入っているのがダンブルドアの顔のタトゥ。ちなみにセリフのタトゥは右の上腕部分にある

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』

監督・原案・脚本・編集:グザヴィエ・ドラン
出演:キット・ハリントン/ナタリー・ポートマン/ジェイコブ・トレンブレイ/スーザン・サランドン/キャシー・ベイツ/タンディ・ニュートン/ベン・シュネッツァー
原題:The Death and Life of John F. Donovan
2018年/カナダ=イギリス/2時間3分
配給:ファントム・フィルム/松竹
3月13日(金)より、新宿ピカデリー 他 全国ロードショー
(c) 2018 THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD