19世紀にベルリオーズやマーラーが大編成の交響曲でオーケストラの表現領域を大きく広げたあと、20世紀前半、今度は主にロシアの作曲家を震源とする激震が襲う。楽器編成はさらに拡大し、調性、リズム、ハーモニーなど西洋音楽の基本的な枠組みの見直しも一気に加速。当時の聴衆が拒絶反応を示して騒動になるほどの過激な作品も登場した。いまから約100年前のロシアは政治体制の激動期だが、音楽の世界でもそれに劣らず革新的な変化が起きていたのだ。

 ステレオサウンド社がプロデュースする「オーディオ名盤コレクション」のなかから今回は20世紀前半ロシアの重要な作品、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》と、プロコフィエフ《3つのオレンジへの恋》組曲とスキタイ組曲を取り上げる。いずれも演奏はドラティ指揮ロンドン交響楽団で、コレクションの中核をなす重要な録音だ。

目が眩むほどの破壊力を備える
革新的録音をフレッシュに捉えた

 録音年代はどちらも1950年代後半、3本のマイクを用いたワンポイントステレオによるマーキュリー・レーベルの名録音として知られる。名ディレクターのウィルマ・コザートとエンジニアのロバート・ファインが手がけ、録音会場もロンドンのワトフォード・タウン・ホールと共通する。同レーベルはその頃すでに最高水準のステレオ録音をいくつも手がけているが、ストラヴィンスキーとプロコフィエフの管弦楽曲は古典派やロマン派の作品に比べて圧倒的にダイナミックレンジが広く、ステージとホール全体を巻き込むパースペクティブの大きさも半端ではない。そんな大規模な音楽をたった3本のマイクだけで果たしてどこまで捉えことができるのか、疑問が湧き上がるのは当然だろう。多数のマイクを駆使するマルチトラック録音は当時まだ一般的ではなく、ミキシングや編集の環境も限られていたのでなおさらだ。

 だが、プロコフィエフのふたつの組曲を聴けば、そんな懸念は一瞬で吹き飛んでしまう。

 《3つのオレンジへの恋》から管弦楽曲を抜き出した組曲は、オリジナルが風刺の効いたオペラだけに曲想が変化に富み、スキタイ組曲に比べると疾風怒濤の高揚感は抑え気味。それがかえってプロコフィエフの管弦楽書法の特徴を際立たせ、作曲家の成長をうかがわせる。音数を抑えながら最大限の演奏効果を引き出すアプローチが洗練されており、ここぞというときには低弦や打楽器を容赦なく鳴らし切り、目が眩むほどの破壊力を引き出す。行進曲の異様な高揚に続くスケルツォではリズムと音色の相乗効果を見事に引き出し、叙情的な「王子と王女」につないでいく。最後の「逃走」の切迫感と重量物が動き回る押し出しの強さとの対比も特筆すべき名演。あくまで自然な流れでオペラの展開を想起させるドラティの手法は見事である。

 ディスク後半に収録されているスキタイ組曲の完成時、作曲家はまだ20代半ばで、アメリカへの亡命前で創作欲も旺盛、どの音にもエネルギーが満ちている。ドラティはロンドン交響楽団の金管楽器奏者に妥協を許さず、つねに限界ギリギリの音量を要求するが、過剰なロングトーンや音を割るほどの無理を強いることはなく、停滞感のない快速で鮮烈な響きを維持している。当時のロンドン交響楽団の演奏技術の高さは驚くばかりで、アンサンブルは一糸乱れず、団員たちのテンションの高さとエネルギーの持続力にも舌を巻く。

 特にスキタイ組曲は破壊力を秘めたパーカッションの衝撃やトゥッティの瞬発力に耳を奪われがちだが、吟味した最良のマスターから入念に制作された今回のSACDならではの音響的な魅力にも触れておこう。ドラティの的確なコントロールはリズムやテンポはもちろんのこと、オーケストラの各楽器のバランスに及んでいる。トゥッティは限界ギリギリまでの音圧で攻め込むが、金管楽器はあくまで鮮度を保ち、すべての楽器を鳴らし切っても響きが混濁することがない。そのフレッシュな感触と音場の見通しのよさこそがCDでは聴けなかったもので、今回のSACD化の大きな成果である。作品は革新的で過激だが、音響は質感が高く、演奏者の表現力は柔軟で音色も細部まで精密にコントロールされている。今回のSACDからはそうした演奏の本質が見事に浮かび上がってくる。

SACD+CD 2枚組 オーディオ名盤コレクション
『プロコフィエフ:《3つのオレンジへの恋》組曲、スキタイ組曲/アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団』
(ユニバーサル・ミュージック/ステレオサウンドSSHRS-041/042)
¥5,000+税 ●2枚組(シングルレイヤーSACD+CD)

●初出:1958年マーキュリー・レーベル
●録音:1957年7月4日 ロンドン郊外、ワトフォード・タウン・ホール
●Recording Director:Wilma Cozart
●Musical Supervisor:Harold Lawrence
●Engineer and Technical Supervisor:C.Robert Fine
●Mastering Engineers:Jonathan Stokes & Neil Hutchinson(Classic Sound Ltd UK)

     ●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_sacd_amc/3087

 ストラヴィンスキーが1910年に書いたバレエ音楽《火の鳥》は組曲版での演奏機会が多く、録音の数も多いが、作品本来の魅力は全曲版の方が伝わりやすい。組曲版は展開が速くオーケストレーションも聴き映えが強いが、民話を題材としたシンプルなストーリーと舞踊のための音楽という作品本来の性格は全曲版を聴かなければわかりにくいのだ。ドラティとロンドン交響楽団が1959年に取り組んだ録音はそうした《火の鳥》本来の魅力を適切に引き出しており、前半に登場する王女たちの描写など、素朴だが美しい旋律が誇張なく聴き手に届くよさがある。火の鳥に助けられながら王子がカスチェイを追い詰める後半はかなり速いテンポでときに性急なほどだが、それもバレエとしての流れを考えると納得がいくもので、バレエとオペラの経験が豊富なドラティの本領発揮というべき名演だ。

 現代の収録と紹介しても通用するほど見通しのよいステレオ音場はこの録音の白眉であり、今回のSACD化でその先見性がいっそう明確に浮かび上がってきた。独奏ヴァイオリンや木管楽器のフォーカスのよい鮮明な音像、ハープやチェレスタの鮮烈な粒立ち、そして弱音器を付けた弦楽器群の精妙な音色など、優秀録音が満たすべき条件のほとんどをクリアーしているので、いまでもそのまま録音の手本になるほどだ。100年前の初演当時にまで思いを馳せながら、60年前のマーキュリー・レーベルの取組みがいかに革新的で、現代の録音手法を先取りしていたかを再確認してみよう。
文・山之内 正

SACD+CD 2枚組 オーディオ名盤コレクション
『ストラヴィンスキー:バレエ《火の鳥》/アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団』
(ユニバーサル・ミュージック/ステレオサウンドSSHRS-039/040)
¥5,000+税 ●2枚組(シングルレイヤーSACD+CD)

●初出:1960年マーキュリー・レーベル
●録音:1959年6月7日 ロンドン郊外、ワトフォード・タウン・ホール
●Recording Director: Wilma Cozart
●Musical Supervisor: Harold Lawrence
●Chief Engineer and Technical Supervisor: C. Robert Fine
●Associate Engineer: Robert Eberenz
●Mastering Engineers:Jonathan Stokes & Neil Hutchinson(Classic Sound Ltd UK)

    ●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_sacd_amc/3086
    ●問合せ先:㈱ステレオサウンド 通販専用ダイヤル103(5716)3239
                 (受付時間:9:30-18:00 土日祝日を除く)