去る3月10日、NHK BS8Kでオードリー・ヘップバーン主演『マイ・フェア・レディ』がオンエアされた。第37回アカデミー賞で最優秀作品賞を含む8部門を受賞した、1964年公開の名作だ。その放送に先立ち、2月下旬に同作の8K試写会が開催された。今回はそれに参加した麻倉怜士さんと酒井俊之さんの感想をお届けしよう。なお今週末(3月24日)にはNHK BS8Kで、午後12:30〜『2001年宇宙の旅』、15:00〜『マイ・フェア・レディ』が続けて放送される。8K放送を受信できる方は、録画必須だ!(編集部)
--今日は麻倉怜士さんと酒井俊之さんに、『8K マイ・フェア・レディ』の印象を語り合っていただきます。これは昨年BS8Kでオンエアされた『2001年宇宙の旅』と同じく、70mmオリジナルフィルムから8Kスキャンを行なったマスターが使われたそうです。
麻倉 制作の経緯を取材しました。NHKが権利者のCBSに8K化を提案。ハリウッドの専門プロダクションFotoKemで、65mmのオリジナルネガフィルムからBigfootというシステムにて8Kスキャン、レストア、グレーディングやカラーコレクションなどの作業が半年かけて行なわれ、8K/24pの連番ファイルとしてNHKに納品されました。NHKにて字幕のインサートや60p変換などの作業を加えて放送マスターが制作されました。
--試写会ではHEVCで圧縮する前の放送用素材を使ったそうで、フォーマットは8K/60p、SDRです。上映機器はNHK常設のJVC製8Kプロジェクターを使って400インチスクリーンに投写していました。サラウンドは5.1chで、ムジークエレクトロニク・ガイザインのシステムで再生されました。
麻倉 8K版の『2001年宇宙の旅』にも感動しましたが、今回もたいへん素晴らしかった。50年以上前のオードリー・ヘップバーンの姿がここまで高貴だったのかと驚きました。きわめて貴族的で上品で、上質です。そんな彼女の存在感が、映像としてここまで綺麗に再現できるという点に、8Kならではの感動がありました。
画質的にはコントラストが素晴らしいですね。単に黒が沈んでいるというだけでなく、その艶艶した輝きが印象的。冒頭の雨のコヴェント・ガーデンのシーン。雨粒に濡れる馬車の幌の黒光り、ロンドンタクシーの金属ボディの黒、雨水が溜まった舗道の反射感……など、8Kの質感再現性にノックアウトされました。
酒井 8Kの映画作品をNHKの400インチスクリーンで見るのは今回が初めての体験です。まずはシステムのクォリティの高さに圧倒されました。意外なほどナチュラルでフィルム的な質感ですね。
プリントしたてのコンディションのいいフィルムを上映しているかのような印象を受けました。まったくデジタルレストアを意識させない。個人的には『2001年〜』よりも好きなトーンに仕上がっているな、と思いました。
麻倉 『2001年〜』とは違いましたか?
酒井 『2001年〜』は放送初日(2018年12月1日)に渋谷ストリームホールで開催されたイベント会場の液晶テレビで見ました。フィルムのテイストは活かしながらも初めて見る色の発色、コントラスト感、光の強さなどはいかにも4K/8K時代のデジタルリマスターっぽい画調になっていたように感じました。
麻倉 『2001年〜』は、人の想像力はここまで飛躍するのかという点に感嘆するスペース・ファンタジーですね。そこには記憶に頼るリアリティというものは、ありません。哲学的な内容に視る側もテンションを高く保ち、作品の力に負けない真摯な鑑賞態度が求められます。
一方、『マイ・フェア・レディ』は、リアルな貴族社会のシンデレラストーリー。すべてがリアルな世界であり、いかにリアリティが高いかが重要です。何より、オードリー・ヘップバーンの美しさ、高貴さを鑑賞する愉しみが、嬉しいです。
また人物の描き方、顔色も含めたパーソナリティが映像を通じて感じられます。役者さんがどんな風に演技しているのかや、それぞれのキャラクターがどんな風に演出されているのかまで、8Kはダイレクトに伝えていました。
酒井 実はBS4KのPR番組で本作の映像を先に観ていたのですが、アスコット競馬場のシークエンスでの白と黒の強烈なコントラスト、特に白の伸びにびっくりしました。それが8Kではどう観えるのか? やはり衣装の素晴らしさが印象に残りました。例えばアスコット競馬場のシーンでは白いドレスをまとった女性たちが登場しますが、そのドレスの“白”のなかにも微妙な違いがある。“一番の美しい白”はヘップバーンのために用意されている。これまでのHD版ではここまで意識させられることはありませんでした。
麻倉 確かにあの登場シーンのインパクトは凄かった!
酒井 主役を引き立てるための色の演出ですね。映像設計もさることながら色へのきめ細かい配慮が8Kマスターならば手に取るように伝わってきます。舞踏会のシーンではヘップバーンの姿を目にした時、その神々しいまでの美しさに思わず鳥肌が立ってしまいました。こんな経験は初めてです。
麻倉 確かにあのシーンでは、作品が持っている“気品”を8Kでダイレクトに感じることが出来ましたね。DVDやブルーレイでも繰り返し本作を観てきましたが、やはり8Kはそれらとは格が違う。フィルムの情報量はこんなに凄かったのかと驚きました。
酒井 65mmネガ、70mmフィルムならではの懐の深さを感じます。完璧なレストアと的確なグレーディング。映画のデジタルレストアの世界では名を馳せるロバート・ハリス氏が本作でも監修を手掛けていますが、お見事としかいいようがないですね。
麻倉 ヒギンズ教授邸は英国人言語音声学者ダニエル・ジョーンズの邸宅をモデルにしています。画面からは貴族的な家の佇まい、インテリアの本物感が伝わってきます。
舞台になっている時代性もよく描かれていて、家具や壁紙のリアリティが素晴らしかったです。エドワード調の壁紙のノーブルさ、ウィリアム・モリスの草花や樹木をモチーフとしたファブリックでカバーされたソファのエレガントさ。立派な装幀の専門書、古書が蝟集する本棚は、特に8Kの質感再現力が発揮されていました。
酒井 ていねいに配置された調度品、書庫に並ぶ本の革表紙のディテイルの再現も壮観でしたね。製作者たちが描こうとした世界は8Kの方が一層強く感じられる。スクリーンの隅々にまで目が奪われます。
麻倉 これまで『マイ・フェア・レディ』を観る時はストーリーの面白さに引き込まれていましたが、8Kではストーリーは映画を構成する要素のひとつであって、衣装やセット、照明、撮影方法などのすべてで成り立っているということを改めて感じさせてくれました。
ヒギンズ教授の自宅のラウンドしている階段の手すりの光沢感、木材の角のとがり方などの再現も素晴らしい。机に置かれた金属のランプシェードにも目が行ってしまいました。
酒井 サウンドトラックのレストアも素晴らしかったですね。ヘップバーンのセリフのニュアンスの変化、洗練されていくプロセスなどもより分かり易くなっていました。言葉の正しい発音・発声を学んでいくに従ってセリフがどんどん聞き取りやすくなっていく。
ミュージカルシーンでは「いまに見てらっしゃい」「踊り明かそう」「スペインの雨」ではヘップバーン自身の歌からマーニ・ニクソンの歌声に変りますが、その声の切り代わりもスムーズ。録音賞でオスカーを獲っていますので素材のよさが活かされているのでしょう。
サウンド面でもかなり手間をかけてレストアされているのがわかります。5.1chのサラウンド音声もフロント重視でスクリーンに惹きこまれるサウンドデザインになっていましたね。
麻倉 配色についても、ヒギンズ教授の屋敷はローキー気味で、アスコット競馬場は白を基調にした明るいもの、そしてヒギンズ教授のお母さんの家は暖かな色調といった具合に、それぞれの舞台となる空間を照明の違いで演出している様子がよくわかりました。
酒井 確かにそうですね。作品全体を通しての演出として、冒頭のコヴェント・ガーデンなどは色を抑えた地味なトーン。徐々に色数が増えていき、アスコット競馬場がひとつのクライマックスになっている。
麻倉 ヘップバーンの肌色も、冒頭の花売り娘の頃は若干黄色がかっているんですが、徐々に白くなっていくのです。この微妙な変化もきちんと再現できていました。
そもそも『マイ・フェア・レディ』は全編通してセット収録で、光の配置、照明の造り込みがとてもよく考えられています。その造り込みに対する意欲、こだわりを8K映像から感じました。ロケーションはいっさいなく、オールセットで美術、インテリア、色彩が設計され、照明もたいへん綿密であることが、今回の8K試写ではよく分かりました。
イギリスの写真家セシル・ビートンが監修した美術の素晴らしさが、8Kでさらに活きていますね。彼は1958年に映画『恋の手ほどき』でアカデミー衣裳デザイン賞、1964年の本作でアカデミー美術賞およびアカデミー衣裳デザイン賞を受賞しています。
徹底的に時代考証した衣装の素晴らしさ。イライザが社交界にデビューするアスコット競馬場での豪華な衣装、ヒギンズ教授の着るジャケットや背広の高級感……など、8K描写力には目を見張りました。
酒井 今年はオードリー・ヘップバーンの生誕90周年。オードリーファンにはまたとない贈り物だと思います。このクォリティで『ティファニーで朝食を』や『ローマの休日』が観たくなりますね。
麻倉 プロデューサーが、舞台のジュリィ・アンドリュースでなくヘップバーンを主役に抜擢したそうですが、8Kで見ていると、それも納得です。貧しい花売り娘が舞踏会で、某国の王女に間違えられるほどの高貴なフェア・レディへ大変身する過程のヘップバーンの佇まいの変化、存在感の変化、知性の変化……など変化のダイナミックレンジがきわめて大きいのです。
酒井 実は試写会から帰って、あらためてBS4KのPR番組を見直してみました。鮮明で鮮鋭な画調であることは間違いないのですが、8K上映ではもっと柔らかなニュアンスが再現されていたはず。ウチはどうも絵が硬い(笑)。そのあたりは麻倉さんのお宅の8Kテレビでもじっくり見せていただきたいと思いますので、ぜひ次回は麻倉シアターにお邪魔させて下さい。
麻倉 ぜひ、おいでください。8Kで見る映画の凄さは、電子映像なのに、ひじょうにフィルムらしいフィール、味わいが深く、「スクリーンで映画を観た」感覚に浸らせてくれることです。本作でも、映画らしい画調を大いに堪能しました。