戦場ジャーナリストとともに紡ぎ上げた脚本

 冒頭、黒味の画面に轟々(ごうごう)とした風の音が響く。画面が明るくなると、眠っているのか、気を失っているのか、埃まみれの女の顔が映し出される。これが本作の主人公のバハールだ。

 2014年の8月。イラク北部で、IS(イスラミック・ステート)の襲撃を受けたヤズディ教徒5000人以上が殺害され、少女を含む約6000人の女性が性的奴隷として拉致、虐待される事件が起きた(ISが衰退した現在でも、半数近い女性の安否はわかっていない)。

 この『バハールの涙』は、同事件のあとISの占領地から命からがら逃げ出し、銃を手に戦うことになった女性戦闘部隊の3日間を描いた作品だ。

 先進国からかえりみられることのなかった事件を知りショックを受けたフランスの女流監督エヴァ・ウッソンが現地に入り、綿密な取材を重ねて戦場ジャーナリストと共に脚本を執筆。なのでフィクションだけれど、説得力がある。新しい視点を与えてくれる。価値のある良作である。

ISの襲撃を受け、夫を殺され息子を奪われたバハール(中央)。息子を救うため、境遇を同じくする女性たちと立ち上がる

すべてを失くした女たちは武器を取る

 突然現われたISの戦闘員に夫を殺され、その戦士として育てるため幼い息子を取り上げられたバハールは、イラク北部やシリア、トルコなどで暮らす、国家を持たない少数民族ヤズディ教徒の出身だ(演じるのは、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』で、ちょっと不思議ちゃんな嫁さんをやっていたゴルシフテ・ファラハニ。イラン出身)。

“世界で最も美しい顔100人”トップ10の常連でもあるゴルシフテ・ファラハニ。『ワールド・オブ・ライズ』(2008)で、イラン出身の女優として初めてハリウッド作品に出演。『別離』(2016)のアスガー・ファルハディ監督作『彼女が消えた浜辺』(2009)では主演を務めている

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 ゾロアスター教に似た土着宗教を信奉するヤズディ教徒は、多神教を捨てぬ異教徒としてISから目の仇にされ、徹底した迫害を受けてきた。

 戦いなど望まなかった母親バハールらが銃を取るようになったのは、ヤズディ教徒の男の絶対数が少なかったからだ。村の男たちは全員殺され、女は拉致。少年もシャツをめくられ、脇毛が生えていると大人と見なされ殺害された。

 焚き火の周りで静かに踊り、歌い、赤子に乳房を含ませる女たちに、これ以上失うものなどない。バハール率いる小隊は、ライフルを構えて地下道を抜け、瓦礫の町に入り、IS支配区を進む。

 目鼻立ちがくっきりした主演ファラハニのシャープな印象のせいだろう。それが狙いではないけれど、この場面にハリウッド映画にもよくあるハミダシ部隊のガッツが漂うのがおもしろい。

 常軌を逸した男尊社会であるIS戦闘員たちは、女に殺されると天国に行けないと恐れている。倒した相手の着信に、バハールは「残念だったね。あんたの弟は女に殺されたよ。あんたも死にたいかい?」と鉄槌を食らわす。

 女性監督が作った、戦うしかなかった女たちの物語。強い女が大好きなジェームズ・キャメロンがうなずきそうな名場面である。

祖父はフランコ政権と戦ったスペイン共和国兵士だというエヴァ・ウッソン監督(中央)。内戦を通して祖父が抱えたであろうトラウマが、クルド人兵士たちの心の傷みと重なるのではないかと考え、本作の制作へつながったのだという

語り手は自身も傷を抱えた女性ジャーナリスト

 もうひとり、この映画には重要な役割の女性が登場する。監督の分身であり、作品に揺らぎを与えるフランス人女性ジャーナリストのマチルドだ。

 過去の取材で大怪我を負い、左目に黒い眼帯をしている戦場ジャーナリスト。世界に事実を伝えるため紛争地域を駆け回ってきたが、同時に自身の無力さを癒すために酒の力を借りたりもしている。

 この女性は実在の眼帯ジャーナリスト、メリー・コルヴィンがモデルにされており(2012年に、シリアでプレスセンターに向けたアサド政府軍の砲撃によって死亡)、アメリカでは2018年11月にその伝記映画『A Private War』が公開されて評判を呼んだ。

 コルヴィンを演じたのは、『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイク。監督は、SNSを利用して国の内外からISの暴挙を発信せんとするシリアの抵抗組織を描いた傑作ドキュメンタリー『ラッカは静かに虐殺されている』(2017年)を撮ったマシュー・ハイネマン。トラウマを抱えながら戦火のなかを突進するジャーナリストはパイクに適役だし、これおもしろいんじゃないかしら。日本公開が決まることを願いたい。

フランス人女性ジャーナリスト、マチルドを演じたエマニュエル・ベルコは、監督としても女優としても高い評価を得ている人物。監督作は、第68回カンヌ国際映画祭のオープニング作品に選ばれた『太陽のめざめ』(2015)など

資源国ゆえに悲劇的な運命を〝辿らされた”イラク共和国

 トルコ、イラン、クウェート、サウジアラビア、ヨルダン、シリアに囲まれているイラク共和国。地図を広げるとわかるけれど、中東地域の国境はなぜ多くが直線で区切られた不自然な形をしているのだろう。こんなマップ、ドラクエに提案されても却下だよ!

 これは第一次大戦後の1920年に、イギリスとフランスが石油の採掘を目当てに、旧オスマン帝国を勝手に分割して委任統治したことに端を発している。

 文化も人種も宗教も考慮せずに引かれた国境線。これは、そこで起きる対立を目くらましにして、民衆の抵抗が君主国に及ばないよう考えられたともいわれている。ヒドい話だ。

 近代イラクでいえば、フセイン大統領が独裁者として統治してきたが、2003年にニューヨーク同時多発テロ事件を受けた大量破壊兵器捜索のため、米国を中心とした連合軍が軍事介入。

 兵器は結局発見されず、フセインは処刑され、その重石が外れたイラクは以後15年、宗派が血を流しつづける紛争地域になってしまった。当時の小泉内閣はアメリカを支持して、自衛隊をイラクに派遣したのだから、ぼくらにも責任がないとはいえない。ISの最終目標は、西側諸国に引かれた国境を捨て、各国をまたぐ真のイスラム国を打ち立てることだった。

 『バハールの涙』は、強国に翻弄され、このような歴史を辿ったイラクの、さらに弱者である流浪の民ヤズディ教徒の運命を見つめた作品だ。

 原題は『LES FILLES DU SOLEIL』。太陽の女たち。劇中、何度か太陽が映し出されるが、それはいつも厚い灰色の雲に覆われていて輪郭もよくわからない。

 女兵士たちは、私たちの身体と血が土地と子孫を育むと歌い、ジャーナリストのマチルドは、その物語を私は書くと曇天に誓う。

 曇り空が腫れるとしたら、希望はこの女たちなのだろうか。

『バハールの涙』

監督:エヴァ・ウッソン
出演:ゴルシフテ・ファラハニ/エマニュエル・ベルコ
原題:Les filles du soleil
配給:コムストック・グループ+ツイン
2018年/フランス=ベルギー=ジョージア=スイス/1時間51分
2019年1月19日、新宿ピカデリー&シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
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