●4Kデジタル修復版 新マスター完成までの道のり〜ポストプロダクション編③〜

 『犬神家の一族』<4Kデジタル修復版>。入念なレストアが施されたマスターはいよいよグレーディング(色彩調整)のプロセスへと進む。市川崑監督がイメージしていた作品の姿をいかに再現するか。修復化の工程のなかでもとりわけ重要な作業になる。

 グレーディングを担当するのはIMAGICAエンタテインメントメディアサービス(以下、Imagica EMS)映像制作部 データイメージンググループ カラリストの阿部悦明だ。阿部はこれまでも市川監督作品では『炎上』『おとうと』『雪之丞変化』、往年の角川映画では『セーラー服と機関銃』『野獣死すべし』『復活の日』などのグレーディングを担ってきた。名実ともに日本のトップクラスのカラリストとして知られている。

 阿部は中学生の時に映画館で観た『犬神家の一族』の体験が今でも忘れられないという。同作のファンでもあり、自身がグレーディングに携わることは長らく待ち望んでいたと聞く。4Kデジタル修復化の作業に入る前段階で、現存する2000年版のプリントが同社の第一試写室で参考上映されたことは以前にもお伝えした。フィルムでの上映は1976年公開当時の色調を探るにあたってはなによりも重要な手掛かりだ。

画像: 阿部さんたちが色調の参考にした2000年版のプリント(左)と、貴重な1976年版のタイミングシート(右)

阿部さんたちが色調の参考にした2000年版のプリント(左)と、貴重な1976年版のタイミングシート(右)

 しかしこのプリントをチェックしてみると「映画館で観た時にはこういう色調だったろうか……?」 。阿部はそう感じていた。これまでリリースされてきたパッケージ版のマスターのトーンもやはり記憶していた印象とは異なっていたという。

 映写は不可能だがKADOKAWAにて保管されていた1976年当時のプリント。阿部と共にフィルムの状態をチェックしたのはImagicaEMSのタイマー、小椋俊一である。フィルムのコマを目視で確認してみると、2000年版のプリントを観た時のような違和感を阿部は覚えなかったという。この時、小椋から技術的なアドバイスを受けつつ、かつて市川崑監督作品のフィルムタイミングを担当していたタイマーたちにも相談を持ち掛けてみることを阿部は思いついた。

 「通常の作業では当時のタイマーを頼ることはない」と阿部は言うが、本作の場合は現存するフィルムや数多のビデオマスターの色調があまりにも違う。徹底的に1976年当時のフィルムの姿を追い求めたいという思いからなのである。

画像: ImagicaEMSのサイトより。“上映不可な1976年当時のプリント”を確認する小椋さんと阿部さん

ImagicaEMSのサイトより。“上映不可な1976年当時のプリント”を確認する小椋さんと阿部さん

 Imagica EMSの前身は東洋現像所。本作の“初号ラボ”(初号プリントを制作した現像所)だ。阿部が意見を請うたのは東洋現像所時代のタイマー、荒井正一と鈴木美康。荒井はまさに1976年に『犬神家の一族』の担当であった。「タイミングだけは自分じゃできない」。のちに市川監督にそう言わしめたフィルムのタイミングを担っていたのが他でもないこの荒井である。

 いっぽう当時はまだ助手だった鈴木は本作の特報や予告編を受け持ち、その後は市川監督作品に長年に渡って携わってきた。阿部曰く「市川崑監督の好きなトーンや嫌いなトーンをもっともよく知るスタッフ」。監督のイメージする色調を知り尽くしたこの両名からの助言は何よりも心強い。

 また、1976年と2000年のプリント、それぞれのタイミングシート(ネガフィルムで撮影された映像をポジフィルムに複写する際に色の補正値を指示したもの)が現存していたことも役立った。タイミングシートには色を構成するR・G・Bのバランスを記したデータが撮影されたオリジナルフィルムに対しての “差分” として記載されている。

 現存するフィルムを目視しつつ、このタイミングシートに記されている補正値と照らし合わせながら逆算、類推するとオリジナルフィルムの色調を探っていくことが出来るのだ。「君が中学生の時に観たトーンが本来の画調だよ」。荒井の言葉に自身の記憶でやはり間違いはないのだと阿部も確信が持てたという。

画像: 五反田のIMAGICA試写室に長田さんにおいでいただき、修復版の映像をチェックしている。阿部さんとは長年のおつきあいとかで、イメージの共有もスムーズに進んでいた

五反田のIMAGICA試写室に長田さんにおいでいただき、修復版の映像をチェックしている。阿部さんとは長年のおつきあいとかで、イメージの共有もスムーズに進んでいた

 フィルムを知るタイマーたちのアドバイス、現存するプリントとタイミングシートから1976年公開当時のフィルムの姿が見えてきた。もちろん、微細な調整は阿部によって全カットに渡って行われる。完成した4Kデジタル修復版のマスターを観てみると、奇をてらうことなくノーマルな色調で端正。彩度も抑えめだ。

 “色を残しつつもあまり感じさせない” のは作品本来の狙いである。総じてクールなトーンに仕上がっているのも監督の好みの画調だという荒井と鈴木の経験が反映されている。絶対値としての画の基準を持ち、監督やカメラマンの抽象的なイメージを、数値を使いながら具体的な画として仕上げる。タイマーとはフィルムに全責任を持つラボ(現像所)のディレクターなのである。

 阿部によってグレーディングが施されたマスターを監修という立場で最終的なチェックをするのは、本作の編集を担当した長田千鶴子だ。その作業にはスタジオで同席させていただいた。市川監督作品の4K修復化にあたって阿部と長田は幾度となく作業を共にしている。「これは監督の色調とは違う」といった指摘を受けることもなく、長田の助言を受けながらさらに阿部はグレーディングの精度を上げた。阿吽の呼吸、お互いの信頼関係が築かれているのがひしひしと伝わってきた。

 『犬神家の一族』と言えば、とりわけ強烈な印象を残すのは犬神家の屋敷内の各所にあしらわれている “金色” だ。なかでも犬神佐兵衛が息を引き取り、のちの連続殺人事件の発端となる遺言状が読み上げられた大広間。襖に貼られた金箔の黄金色が目を奪う。犬神家の権力や虚栄、渦巻く欲望を象徴しているものとも言えるだろう。

画像1: 角川映画45周年記念『犬神家の一族』4Kデジタル修復版。驚愕の高画質・高音質で甦った傑作の舞台裏に迫る(その5)

 市川監督は撮影時からこの金色と質感には大いにこだわった。出来上がったセットで使われていた金色が気に入らず、撮影が中止になったという金田一耕助役の石坂浩二の証言もある。しかも何度か撮り直しも行われたようで、事実、予告編と本編では大広間の襖の金色や質感、図柄が異なっているのがはっきりと見て取れる。この金色の再現が4Kデジタル修復版の肝になると考えていた長田が新たなグレーディングによって鈍く光る金色に「素晴らしい」とたびたび声を漏らしていたのが印象的だった。

 「よくぞここまでやってくれた」。4Kデジタル修復版をスクリーンで観たタイマーの荒井から阿部は声をかけられた。「自分自身もかつてタイミングで苦労した金色がとてもよかった」。また、「登場人物たちのフェイストーンが綺麗に出ている。なにより市川作品らしく赤が落ち着いている」。

 同じく鈴木からも「フィルムらしさが感じられて美しい。この画調でまとめると肌の表現がバラついた結果にもなりかねないのだが、そのようには思わなかった。繊細に調整されているのがわかる。光による演出の差もより判りやすくなった」。との評価を受けた。

 新旧のスタッフがこだわりと熱意を持って制作した4Kデジタル修復版。市川崑監督がイメージしていた劇場公開時の姿を限りなく忠実に再現する。初号ラボとしての自負と責任感、そして今に続く技術の継承が見事に結実した結果なのだと感じた。

画像: 1976年の『犬神家の一族』で編集を担当した長田千鶴子さん(左)と、株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス 映像制作部 データイメージンググループ カラリストの阿部悦明さん(右)

1976年の『犬神家の一族』で編集を担当した長田千鶴子さん(左)と、株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス 映像制作部 データイメージンググループ カラリストの阿部悦明さん(右)

 現在開催中の「角川映画祭」で既に4Kデジタル修復版をご覧になった方も多いだろう。もしかしたらタイトルバックの黒バックにちらほらと白い斑点を見つけた方もなかにはいらっしゃるかもしれない。フィルムのゴミを消し忘れたのではないか? もちろんレストア作業上で見逃しているわけではない。これは黒バックで白い文字のタイトルが撮影された際に既に存在していたのだ(特撮作品で言うところのピアノ線などがそれに相当するだろう)。写し出されているものは手を加えずそのまま残す。明確な意図をもって新マスターが制作されているわけだ。

 グレーディングを終え、その後マスタリング作業(この段階で画角が東宝ワイドの1:1.5サイズにトリミングされる)を経て、デジタルマスターが遂に完成する。のだが、このマスターは劇場用の4K/SDR版。本作はさらに新たなグレーディングによって4K/HDR版のマスターも制作されている。これまで誰も観たことがない『犬神家の一族』である。SDR版の印象をさらに凌駕することになる4K/HDR版についてのリポートは……次の最終回に続く。(本文敬称略)

※日本映画+時代劇4Kで、12月4日21時から『犬神家の一族』<4Kデジタル修復版>をオンエア。ファンはエアチェックの準備をお忘れなく

「角川映画祭」現在絶賛開催中! 草笛光子さんのトークショウも大いに盛り上がった

 お待ち兼ねの「角川映画祭」がいよいよスタート。11月19日からは、テアトル新宿、EJアニメシアター新宿、ところざわサクラタウンジャパンパビリオンホールBで上映が始まっており、さらに12月17日からは大阪のシネ・リーブル梅田でも開始となる。

 そして11月20日にはテアトル新宿での『犬神家の一族』<4Kデジタル修復版>上映後に、女優の草笛光子さんを招いてのトークショウも行われた。本作での梅子役はもちろん、市川崑監督の作品に数多く出演している草笛さんらしく、撮影時の様々なエピソードを披露してくれた。

画像: トークショウの後には、来場者と草笛さんの記念撮影。来場者は全員佐清のお面をつけているので、なんとも不思議な空間になりました

トークショウの後には、来場者と草笛さんの記念撮影。来場者は全員佐清のお面をつけているので、なんとも不思議な空間になりました

 草笛さんは『犬神家の一族』<4Kデジタル修復版>を見て「市川監督の声が聞こえる」と思ったそうだ。「感動しました。大きな映画ですね。私こんなにいい映画に出させていただいたのかと、嬉しかったです」と話していた。

 さらに、「演じるに際し、梅子がどんな着物をきたらいいのかわからなかったんです。そこで市川監督と、当時マネージャーだった母と3人で浅草に着物を探しに行ったら、監督が色が流れているような柄を選んだのです。それを見て、梅子とはこんな役なんだと分かったんです。

 またしばらくして、高峰三枝子さんの着物が黒っぽいグレーにピンクの桜の花びらが散っている柄だと聞いたんです。その時に差し出がましいとはおもったんですが、市川監督に『高峰さんの役にはピンクの花びらは合わない気がします。鉄色の無地の着物にいい帯をびしっと締めている、そんな衣装で死んでいくのが松子さんだと思います』と申し上げました。

 そしたら『そうか、みんな高峰君の衣装ぜんぶやり直し』とおっしゃったんです。てっきり怒られると思ったのに」と語り、来場者を驚かせていた。

 草笛さんも感動した『犬神家の一族』<4Kデジタル修復版>は各劇場で絶賛上映中だ。気になる方はスケジュールをしっかりチェックしてお出かけいただきたい。(編集部)

画像: テアトル新宿のエントランスには、巨大な佐清のポスターが。これをバックにお子さんの写真を撮っているファンの姿も

テアトル新宿のエントランスには、巨大な佐清のポスターが。これをバックにお子さんの写真を撮っているファンの姿も

これまで誰も観たことがない『犬神家の一族』だ。ファンはUHDブルーレイの予約もお忘れなく!

画像2: 角川映画45周年記念『犬神家の一族』4Kデジタル修復版。驚愕の高画質・高音質で甦った傑作の舞台裏に迫る(その5)

『犬神家の一族』4Kデジタル修復 Ultra HD Blu-ray【HDR版】
(DAXA-5817 ¥16,280、税込)、2021年12月24日(金)発売
●発売・販売:KADOKAWA●本編146分/3層ディスク(UHD)+2層ディスク(BD)●カラー●東宝1.5ワイド(1:1.5)サイズ●1976年●日本●収録音声:日本語 リニアPCM 2.0chモノーラル●字幕:日本語、英語●同梱特典:『犬神家の一族』完全資料集成(A4サイズ/ソフトカバー/190P以上)

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