ここまで3回に渡ってお届けしてきた、モンキー・パンチ・コレクション訪問記も今回が最終回。今回は、1998年以来モンキー・パンチさんのホームシアターの師匠(?)として長く、濃いお付き合いを続けてきた潮晴男さんが、モンキーさんの故郷を訪ねてどんな風に感じたのかをまとめていただいた。初めて訪れた浜中町は、潮さんの目にはどう映ったのだろうか。(編集部)

画像: ルパン三世通りにある「霧多布座」。その昔、実際にあった映画館をモチーフにしたとか

ルパン三世通りにある「霧多布座」。その昔、実際にあった映画館をモチーフにしたとか

画像: こちらは不二子ちゃんがいるかもしれない「Pub FUJIKO」。壁の張り紙には「ルパン以外お断り」の文字が

こちらは不二子ちゃんがいるかもしれない「Pub FUJIKO」。壁の張り紙には「ルパン以外お断り」の文字が

「霧多布岬から望む壮大な海岸線に圧倒された」

 2021年4月、ステレオサウンド別冊「モンキーパンチさんが教えてくれた」の発刊に併せ、モンキーさんの生まれ故郷である北海道厚岸郡浜中町に設けられた「モンキーパンチ・コレクション」を取材する予定だった。残念ながらコロナ禍による緊急事態宣言の発出により、やむなく延期せざるを得なかったが、この度念願が叶い、ついに浜中町への旅路につくことができたのである。

 折りしもSACD/CDハイブリッド盤『ルパン三世1977〜1980 ORIGINAL SOUNDTRACK 〜for Audiophile〜』の発売に合わせた形となったのも、何かのご縁だったのだろう。11月初旬、取材陣は羽田空港から釧路たんちょう空港へと向かった。浜中町はそこから車で約90分、霧多布岬で有名な場所にある。

 モンキーさんはこの地で高校生まで過ごし、霧多布岬にも足を運んだという。この岬に立つと、本州にはないスケールの大きさと、北の大地らしい荒々しい光景が飛び込んでくる。こうした環境で育まれたモンキーさんの感性は、上京した後に様々な情報を取り込むことでさらなる深化を遂げてきたのである。

 浜中町商工会議所の元副会長で、現在はモンキーパンチ&ルパン三世 de 地域活性化プロジェクトの会長を務める栗本英彌さんへのインタビューにもあるように、モンキーさんはこの環境の変化を捉えて、一気に色彩感が溢れ出したと語っている。猥雑な都会で瞬くネオンの輝きなどが脳内を刺激したことは想像に難くない。『ルパン三世』を含めた様々な作品に、この時のカルチャーショックが反映されてきたようにも思う。

画像: 「Pub FUJIKO」の並びには、「JIGEN’S BAR」も。この他に、茶内駅近くには「居酒屋 五ェ門」もあります。ただしいずれも仮想店舗なので、営業はしていません

「Pub FUJIKO」の並びには、「JIGEN’S BAR」も。この他に、茶内駅近くには「居酒屋 五ェ門」もあります。ただしいずれも仮想店舗なので、営業はしていません

画像: ルパン三世通りでは、マンホールにもルパンデザインが使われている(写真右下が通常のデザイン)

ルパン三世通りでは、マンホールにもルパンデザインが使われている(写真右下が通常のデザイン)

「モンキーさんの浜中町への恩返し」

 ところが、そんな著名人を輩出しながら、浜中町の知名度は低いというのが現実だった。「隣町の厚岸は牡蠣で有名なのに、浜中町の名前は出てこない。浜中町にも牡蠣はあるし、昆布や雲丹も秀逸、そして酪農もあるんですが……」と栗本さん。

 こうして浜中町の町おこしのために、そして若い人たちが胸を張って故郷のことが語れるよう、モンキー・パンチというスーパースターを、そしてルパン三世を全面に打ち出したプロジェクトがスタートした。

 しかし、計画当初はすんなりと運ばなかったようだ。「ルパン三世って泥棒でしょ」。灯台下暗しとはよく言ったもので、世界的に有名な主人公について頭の固い一部の地元関係者にはそんな風に映っていたようだ。

 だが栗本さんはこうした声に「そんな発想じゃだめだ。そもそもルパン三世についてどれだけ知っているんですか」と説得に努めた。そうした熱意が伝わり、「ルパン三世 フェスティバル in 浜中町」というイベントの開催に漕ぎつけ、モンキー・パンチ・コレクションと命名したギャラリーの開設に奔走したのである。

画像: 霧多布中央ハイヤーでは、ルパンラッピングのタクシーを運用している。通常のワゴンタイプの他に、大勢で乗れるワンボックスタイプも準備されていました

霧多布中央ハイヤーでは、ルパンラッピングのタクシーを運用している。通常のワゴンタイプの他に、大勢で乗れるワンボックスタイプも準備されていました

画像: 取材の帰りに浜中駅にも立ち寄って、ルパンとのツーショットを撮影

取材の帰りに浜中駅にも立ち寄って、ルパンとのツーショットを撮影

「恐るべし、モンキー・パンチ効果」

 第1回「ルパン三世 フェスティバル」は2012年に開催され、以来隔年で継続してきたというが、人口5,500人の町に3,000人もの来場者が全国から集まったことで、改めてモンキーさんの偉大さを皆が知ることになる。残念ながら2020年はリアルイベントは開催されなかったが、2021年はオンラインで開催し、好評を博したという。

 近年では、JR花咲線や釧網線を走る気動車、路線バス、タクシー、町役場の公用車、さらにはトレーラーに至るまで、ルパン三世のイラストをまとって浜中町のPRを行なっている。特にトレーラーは日本全国を走り回っているが、高速道路のサービスエリアに入ると見物人で人だかりができるほどの人気になっている。

画像: 花咲線(釧路〜根室間)では2012年から「ルパン三世のラッピングトレイン」が走っている。鉄道好きの潮さんは、事前に運行時間を調べて駅で撮影に臨んでいた

花咲線(釧路〜根室間)では2012年から「ルパン三世のラッピングトレイン」が走っている。鉄道好きの潮さんは、事前に運行時間を調べて駅で撮影に臨んでいた

画像: 株式会社浜中運輸では、浜中町PRのためにルパン三世ラッピングトレーラーで全国へ荷物を運んでいるという。写真はその4台目のもので、25tトレーラーの側面に、13×2.5mに渡ってモンキー・パンチさんのイラストが再現されている。こちらは取材の帰り道に、空港に向かう途中でたまたま発見しました。取材陣、持ってます!

株式会社浜中運輸では、浜中町PRのためにルパン三世ラッピングトレーラーで全国へ荷物を運んでいるという。写真はその4台目のもので、25tトレーラーの側面に、13×2.5mに渡ってモンキー・パンチさんのイラストが再現されている。こちらは取材の帰り道に、空港に向かう途中でたまたま発見しました。取材陣、持ってます!

「ホームシアターの原点も浜中町にあった」

 話をモンキーさんの趣味の世界に戻すと、以前ご本人から、「子供の頃に上映会があって、学校の体育館で映画を観るんだけど、冬は帰り道が寒くてね。こんなのが家にあったらいいなと子供心に思っていたんだよ」という話を何度か聞いたことがある。

 これこそモンキーさんのホームシアターの原点だったことは言うまでもない。また今回栗本さんから興味深い話が飛び出したので付け加えておくと、モンキーさんのお父さんは浜中町にあった唯一の映画館、霧多布座で映写技師をしていたという。これは初耳だったので驚いたが、そうしたところにも映画や音楽を愛するモンキーさんの原体験があったことは容易に察しが付く。

 よくよく観察するとルパンはモンキーさんに似ているし、次元や不二子ちゃんも同級生がモデルになっているという話も、栗本さんの口から出てきた。それだけモンキーさんにとって、浜中町はいつも心の中にあったということだと思う。

 いつかは製作総指揮・モンキー・パンチ、監督・潮晴男で劇場作品を作りたいと願いながら、果たせなかったことは心残りだが、こうしてモンキーさんの故郷を訪ねると、改めてそんな想いが頭をもたげてくる。帰路につき、釧路空港で搭乗前の飛行機を見て、この機体にもルパン三世のイラストがラッピングされる日が来ればいいのになぁと思った。AIR DOさん、ぜひこの夢を叶えてくれませんか。

©モンキー・パンチ ©モンキー・パンチ/TMS・NTV

画像: トレーラーに描かれた北海道の地図。弾痕の位置が浜中町なのです!

トレーラーに描かれた北海道の地図。弾痕の位置が浜中町なのです!

画像: 第1回「ルパン三世 フェスティバル」のポスターは、霧多布座に展示されています

第1回「ルパン三世 フェスティバル」のポスターは、霧多布座に展示されています

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