昨年のIFAで参考出品されたソニーのフラッグシップイヤホン「IER-Z1R」。イヤホンの常識を越えた音場再現を目指した“こだわりの塊”として話題となった。それから半年、IER-Z1Rが遂に日本でも正式発表された。そこで今回は、異次元サウンド誕生の秘密について、ソニー開発陣にお話をうかがった。対応いただいたのはソニービデオ&サウンドプロダクツ株式会社 V&S事業部 企画ブランディング部門 商品企画部の増山翔平さん、商品設計部門 商品技術1部の桑原英二さん、商品設計部門 商品技術1部の飛世速光さんの3名だ。(編集部)

画像: ソニーのフラッグシップイヤホン「IER-Z1R」

ソニーのフラッグシップイヤホン「IER-Z1R」

麻倉 IFA会場で聞いたIER-Z1Rの音には、とても感心しました。音場の見渡しが透明であり、広がりも頭内定位型としては、常識外れにワイドです。まったく新しい製品がでてきたなと驚きました。まずはZ1Rを作るに当たって、皆さんが特に心がけた点、技術開発時に配慮した点などをお聴きしたいと思います。

増山 企画を担当した増山です。Z1Rは、シグネチャーシリーズ初のインイヤーヘッドホンとして企画しました。ターゲットユーザーは従来のシグネチャーシリーズのユーザーに加え、20代の若い世代も想定しています。また究極のリスニング環境を持ち歩きたい、いい音を常に持ち歩きたいという方々へ向けた製品でもあります。

桑原 開発の桑原です。Z1Rは、今まで手がけた製品とはそもそもレベルがまったく違うものにしたいという思いがありました。よく「最高の音」を目指すと言いますが、私の中ではZ1Rは「最高の音」程度では駄目だと考えていました。Z1Rはインイヤーヘッドホンの常識を覆すような製品にしたい、それだけの音でなくてはならないと考えたのです。

麻倉 それは凄い! これまでの製品群における「最高」ということではなく、もっとレベルを超えて、新しいジャンルに入るくらいの物でなくてはならないと。

桑原 次元を変える製品にしたかったのです。もちろんイヤホン、ヘッドホン、スピーカーといった製品それぞれでよさはありますが、イヤホンのイメージを変えるような感動を伴なった製品、お客さんがびっくりするような製品にしたかったのですね。

麻倉 最高のさらに上を行く製品を作ろうとした場合に、どういう点に苦労して、どんな工夫をしたのでしょうか?

桑原 基本概念としては、低い音から高い音まで、小さい音から大きい音まで再現きるようにすることで音場感が広がります。また、密閉型インイヤーヘッドホンではどうしても頭内で鳴っているように感じる傾向があります。それはある程度仕方ないとしても、その響き方を変えたいと思いました。そのために新しい「HDハイブリッドドライバーシステム」を始めとした様々な構成を考えたのです。

麻倉 イヤホンである限り基本的には頭内定位なわけで、スピーカーのように前から聞こえるようにするというのは無理です。そうはいいながら、実際には広がりがある製品と、ない製品があります。今回は広がりのある再現を目指している、と。

桑原 インイヤーヘッドホンはユニットが耳に近く、L/Rそれぞれダイレクトに耳に入ってくるということもあり、セパレーション、L/Rの定位はスピーカーよりもはっきり聴き取れます。それだけソースの持っている定位感は出てくるわけで、そのよさも活かしつつ、イヤホンならではの広がりを目指しました。

麻倉 先ほど音場感を出すためには、フォルテシモからピアニッシモまでの再現が要であるともおっしゃっていました。特にピアニッシモ領域の微少な信号がノイズにマスキングされないのが大切だということでしょうか?

桑原 その通りです。そのコンセプトを実現するために工夫をしたのがHDハイブリッドドライバーシステムになります。これはかなり苦労しました。通常の製品では、ユニット構成などをある程度決めてから開発するのですが、Z1Rの場合はソニーとして最高の音を出すという目標から始まりましたので、ユニット構成も色々なパターンを検証しました。

麻倉 なるほど、普通はこの技術があるからこれを使って製品を作るというやり方でが、今回はまず目標があって、そのためにはこんな技術が必要なんじゃないの、という流れだった。

画像: HDハイブリッドドライバーシステムの構造図。左手前に5mmドライバー、その右下にBAドライバー、さらに後方に12mmドライバーの3つを収める

HDハイブリッドドライバーシステムの構造図。左手前に5mmドライバー、その右下にBAドライバー、さらに後方に12mmドライバーの3つを収める

桑原 Z1Rの目指した広がりを実現するためにはまず、周波数帯域の拡大が必要で、そのためにどういう能力をもったドライバー構成にすべきかを考えました。そこで、これまで高音質を実現できる手法として使っていた、ハイブリッドドライバーシステムを選んでいます。

麻倉 ハイブリッドというのは、BAドライバーとダイナミック型のハイブリッドということすね?

桑原 はい、BA型、ダイナミック型ともドライバーから自分たちで作って、組み合わせています。ダイナミック型は振幅が取れるので豊かな低音から力強い中音まで、BA型は金属振動板と金属のアーマチュアがダイレクトにつながれていて、入力信号に対して立ち上がりが早く、細かい振動が得意なので、精細でクリアーな高音が出せる。それぞれのメリットをうまく融合させればいい音になる、というのがソニーのハイブリッドの考え方です。

 その時に、BAドライバーで高音を受け持たせるのはいいのですが、もっと高い音はどうしたらいいかが問題だったのです。BAドライバーは高音再生に優れている反面、動作原理的に際限なく高音が伸びるというわけではありません。そのためマルチBAタイプと言ってBAドライバーを複数組み合わせていく方法があります。今回は、超高音用にBAドライバーをもうひとつ足すのではなく、ダイナミック型とBA型のハイブリッドに、さらにもうひとつ超高音用のダイナミック型ドライバーを加えています。

麻倉 それは面白いですね。常識的に考えると、BAドライバーを足した方がいいのではないかと思いますが。

桑原 確かにあまり見ないユニット構成です。ただ、BAドライバーを追加して高域を伸ばす方法で100kHzまで再生できるかというと、それは難しいと考えました。

麻倉 BA型よりダイナミック型の方がいいというのは、動作原理によるものなのでしょうか?

桑原 動作原理が主な要因ですが、実際の音も聴かなくてはなりません。今回は、帯域限界のないダイナミック型にすることで、よりパフォーマンスを発揮させることができました。

麻倉 昨年発表されたステージモニターの「IER-M9」「IER-M7」は4ウェイや5ウェイのBAドライバーを搭載していました。あちらはなぜダイナミックドライバーとのハイブリッドにしなかったのでしょう?

桑原 ステージモニターとしての音にはBAドライバーが向いていると考えました。またM9/M7はハイレゾ対応ではありますが、100kHzまでの超高域再生は求められていないので、BA型で対応できています。

麻倉 というと、超高域となるとダイナミックドライバーの方が特性がいいということになりますね。

桑原 100kHzあたりになると、基本的にはダイナミックドライバーが有利だと思います。BA型は高音になるとインピーダンスが高くなるので、再生しにくくなるのです。ダイナミックドライバーはそういったインピーダンス変化の影響は少ないので、使いやすい。

画像: 「リファインドフェイズ・ストラクチャー」のイメージ。ずべてのドライバーをひとつのインナーハウジング(上写真の中央)に取り付け、それぞれのユニットからの音が最適な位相で合わさるよう、経路の構造を調整している

「リファインドフェイズ・ストラクチャー」のイメージ。ずべてのドライバーをひとつのインナーハウジング(上写真の中央)に取り付け、それぞれのユニットからの音が最適な位相で合わさるよう、経路の構造を調整している

麻倉 先ほど、Z1Rでは、BA型とダイナミック型の美味しいところを使っているとおっしゃっていました。しかも今回は超高域についてはダイナミック型を使っているわけで、美味しいところの三段取りになるわけですね。

桑原 詳しく説明しますと、高い音だけど人間の可聴範囲に入っているような帯域については、12mmと5mmのダイナミックドライバー、さらにBAドライバーの3つを使って再現しています。

 通常のスピーカーなどでは、クロスオーバー周波数近辺でカットして、ユニットごとに帯域をきっちりと分けるのが普通です。イヤホンやヘッドホンでもそれに倣って同様の作り方をすることもあると思いますし、それがいいとも言われています。

 しかし、我々はその方式を選ばず、ドライバーのいいところを重ねていく方が、スムーズな音の再現に合っているという考えで開発を進めました。

麻倉 意識的に再生帯域を重ねた方が、いい音にできるという発想ですね。

桑原 再生帯域を重ねることによって、音をコントロールできる幅が広くなりますので、より音質のいいものができるだろうと考えました。音の再現についての可能性が広がります。

 もちろんデメリットとして、開発がひじょうに難しいということがあります。位相の関係や、ドライバーが相互に影響するといった技術的な問題です。なので、どれくらい音を重ねるかについては、細かく追い込みました。

麻倉 そこは経験が求められますね。

桑原 位相の問題を解決できたのは、「リファインドフェイズ・ストラクチャー」のおかげです。これを搭載したおかげで、各ユニットをきちんとコントロールできるようになりました。

麻倉 直訳すると「位相を改善する構造」ですか。わかるような、わからないような(笑)。

桑原 メインとなるのはインナーハウジングと呼ばれる中央のホルダーになります。ここに3つのユニットが取り付けられています。この3つから音が出るわけですが、それが内部の音導、経路を通って融合し、音導管を経て耳に届きます。それぞれのドライバーの音が通る音導に構造次第で、周波数特性や位相が変わります。それをどう変えるか、「変え方」がこの部品によって決まってくるのです。

麻倉 この構成に行き着くまでは、シミュレーションを繰り返して、いろいろな試行誤があったのですね。

桑原 おっしゃる通りです。最初は経験をもとに構造を絞り、細かい部分はシミュレーションを行ない、その結果を踏まえて試作品を作り、それを実測して数値を確認、さらに自分の耳で音を聴いて構造を決めなくてはなりません。数百種類ものパターンから絞っていきました。

画像: ハウジングには、高い硬度と耐食性を持つジルコニウム合金を採用。表面にはペルラージュ加工を施こしている

ハウジングには、高い硬度と耐食性を持つジルコニウム合金を採用。表面にはペルラージュ加工を施こしている

麻倉 ドライバー自体の改良は、具体的にどういった点だったのでしょう。

桑原 ヘッドバンドタイプのMDR-Z1Rに搭載したドライバーが70mmマグネシウムドーム振動板だったのですが、それがひじょうにいい仕上がりだったのです。その考え方をインイヤーでも使えないかと思いました。

 マグネシウム振動板は硬く、割れやすいという特徴はありましたが、そこは製造上のノウハウで解決できました。ただ、それを製品に組み込むのがとても難しかった。今回の12mmドライバーも振動板ドーム部にマグネシウム合金を採用していますが、この組み上げは特にたいへんでした。

麻倉 素朴な疑問ですが、スピーカーではハイブリッド振動板は最近、使われなくなっています。つまり、ウーファーからトゥイーターまで振動板素材を揃えて音色を統一しようというのが流れです。しかしZ1Rはそうではない。この理由は何かあるのでしょうか?

桑原 それぞれの素材の持つ音色を極限まで減らすというのが、われわれの考え方です。マグネシウムは軽くて硬いという特性がありますが、もうひとつ適度な内部損失も持っています。つまり金属固有の音色を乗せないという能力も高いのです。

 その点がマグネシウムと、われわれがずっと使っているLCP(Liquid Crystal Polymer=液晶ポリマー)フィルムの特長で、それによって素材の持つ帯域音を極限までなくし、必要な音のみ鳴らすように振動板の動作を最適にしようというのが今回のドライバーの狙いになります。

麻倉 素材のキャラクターをなるべく出さないようにして、なおかつスムーズに高域までつないでいくというのは、いい発想ですね。その他に工夫した点は?

桑原 「サウンドスペースコントロール」も改良しています。こちらは2016年のXBA-N3という製品から搭載している機構で、12mmドライバーの後ろに拡張空間を追加します。この拡張空間から、さらに極細の音響管、内径がコンマ数mmのチューブを外側まで引き延ばし、振動板の動作を最適化できます。

 Z1Rでは、従来よりも拡張空間をより理想的に確保し、低音の正しいリズムの再現、高音・中音の振動板動作の最適化による音の広がりの再現といった部分のチューニングに使っています。

麻倉 この機構があると、音のコントロールがしやすくなるということですか?

桑原 サウンドスペースという名称には、拡張空間を使っているという意味と、それを使って音場空間を広げるというふたつの意味を込めています。最終的にそのふたつをコントロールするのがこの機能になります。

 シンプルなインイヤーヘッドホンでは、ドライバーとハウジングだけという構成もありますが、それでは周波数特性の細かい部分の上げ下げといった調整は難しい。サウンドスペースコントロールがあることで、低音と中音のつながり方や、そのカーブの具合を細かく追い込んでいけます。例えば、ウッドベースの音色も細かく変えられます。

麻倉 具体的には拡張空間の大きさを変えたり、チューブの長さを変えるといった調整をするということですね?

桑原 その通りです。ただし、部品の精度や組み込みなど、きちんと作るのがひじょうに難しいこともあり、この構造の採用は容易ではありませんでした。妥協せず細かい部分にこだわることができるソニーの高級モデルだからこそ、搭載できる独自の技術と考えています。

画像: 取材に協力いただいた皆さん。左から増山翔平さん、桑原英二さん、飛世速光さん

取材に協力いただいた皆さん。左から増山翔平さん、桑原英二さん、飛世速光さん

麻倉 お話を聞いていると、Z1Rではこれまでの技術を組み合わせているだけでなく、それぞれをリファインしている点も大きいですね。しかもそれらが音づくりに大きく関わっている。

 音づくりのコンセプトがしっかりしていれば、ちゃんと目指すゴールに追い込んでいけるけど、それが曖昧ではしゃんとしない。Z1Rの完成度の高さは、目指した音へのイメージの確かさにあるということがよくわかりました。

 さてZ1Rはシグネチャーシリーズで、価格も20万円前後と聞いています。となると当然、装着性、高級感も高みが求められると思いますが?

増山 ハウジングにはジルコニウム合金を採用しています。弊社のイヤホンはこれまでマグネシウム合金を使っていることが多かったのですが、今回はシグネチャーシリーズであり、長い間愛着を持って使っていただきたいという思いがありました。

 その中で耐久性を持ちつつ、美しい見た目を持続できる金属は何かを探していく過程で、ジルコニウム合金と出会いました。ジルコニウム合金はとても硬いので傷がつきにくく、錆びにくいという特長があります。

 デザイン的にも先ほどのリファインドフェイズ・ストラクチャーの構造を活かしつつ、装着感もよく、かつ美しい形状に見せるにはどうしたらいいかをデザイナーが苦労して考え、形状や曲線の美しさを最大限発揮できるような加工も施しています。今回は、加色・塗装を一切行なわず、金属そのものを磨いています。

麻倉 ジルコニウム合金は、他にはどんなところで使われているのでしょうか?

増山 ジルコニウム合金にも様々なものがありますが、医療用途や電子機器の部品などにも採用されています。今回は音導管も含めてハウジング全体がジルコニウム合金で作られていることが特徴でもあります。

麻倉 最後に、開発時にブレイクスルーを感じた時があったら教えて下さい。

桑原 細かいブレイクスルーは何回かありました。中でも印象的だったのは、ハイブリッドドライバーシステムと、リファインドフェイズ・ストラクチャー、サウンドスペースコントロールの組み合わせの条件が上手くいったときでした。組み合わせの条件が最適にはまった瞬間に、劇的に音がよくなりました。

麻倉 分かりやすく言うとどんな変化だったんでしょう?

桑原 ドライバー構成を決めつつ、リファインドフェイズ・ストラクチャーやサウンドスペースコントロールの最適化を追い込んでいたときに、音のひとつひとつが見えたんです。1個1個の音の存在感が立体化したとでも言いますか。その時は自分でもびっくりしました。

 これならシグネチャーシリーズを目指せると確信しました。設計の初期段階では、いい音だけどこれでは満足できないと思っていたのです。それだけに、このブレイクスルーがあって、従来の延長ではない音が出せると安心しました。

※後編に続く(3月14日公開予定)

画像: 最高級イヤホンにふさわしい、豪華なキャリングケースも付属する

最高級イヤホンにふさわしい、豪華なキャリングケースも付属する

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