毎日をしっかり生きて、着実に活動を続けることの尊さ。それをウィリー・ハイタワーの歌唱はまざまざと感じさせてくれた。

 1940年、アラバマ州バーミングハム近くのガズデン生まれ。ビヨンセの父、マシュー・ノウルズと同郷だ。6歳からゴスペルを歌い、65年に初めての“世俗”シングル「What Am I Living For」をニューヨークのレコード会社“Enjoy”から出した。66年にはピート・シーガーらが作り、サム・クックもとりあげた「If I Had a Hammer」をリリース。キャピトル・レコード(当時ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ルー・ロウルズなどがいた)から出した「It’s a Miracle」は全米R&Bチャートだけではなくポップ・チャートにもランキングされた。その後もフェイム、マーキュリー等からレコードを出していて、91年には日本独自の名企画『High Quality Soul』というCD(キャピトル期の名唱を1枚にまとめた)も出ているのだが、“ものすごく熱心な、少数のソウル・ミュージック・ファンが聴き入っている”状態であることに変わりはなかったと思う。あの濃厚なエモーション、声の魅力は決してマニアックなものではなく、音楽をしっかり聴きとる耳の持ち主には何かしら訴えてくる要素があると思うのだが。

 2018年10月30日のビルボードライブ東京はリスナーに溢れていた。待ちに待った初来日、しかも出来たての最新アルバム『Out Of The Blue』(“突然に”、“出しぬけに”的な意味)を携えてのステージなのだから、これは一大イベントだ。しかし、レジェンドはいきなりは出てこない。まずはバンドによるステージだ。といっても顔ぶれはチャールズ・ホッジズ(オルガン)とリロイ・ホッジズ(ベース)のハイ・リズム勢、故アル・ジャクソンJr.の衣鉢を継ぐスティーヴ・ポッツ(ドラムス)、御大スティーヴ・クロッパー(ギター、ヴォーカル)主体なのだから、聴きごたえはたっぷり。60年代、その曲作りの現場にいたクロッパーが2018年に口ずさむ「In the Midnight Hour」や「(Sittin' on) The Dock of the Bay」も、オリジナル・シンガーのウィルソン・ピケットやオーティス・レディングの歌唱と比べるのは酷としても、ありがたみはあった。

 バンドが舞台を暖めた後、いよいよウィリーが登場する。「Nobody But You」、「It's a Miracle」、「Somebody Have Mercy」、「I Love You (Yes I Do)」などを次々と、“みんな、これを聴きたかったんだろ?”とばかりに、オーディエンスに解き放っていく。エンディングは大体、大して凝ることなく、ドラム・ブレイクがあって、全員の合奏で白玉音符を一発。60年代のソウル・ショウでよく聴かれたパターンだが、今ではめっきり聴かれなくなったパターンでもある。それを連発してくれただけで、ぼくは自分が生まれてもいなかった時代のソウル・ミュージックの現場にタイムスリップしているような錯覚を覚えた。もちろん「If I Had a Hammer」もしっかり披露し、エンディングでは、サム&デイヴの「Soul Man」を観客と合唱。メンフィス(テネシー州)とマッスル・ショールズ(アラバマ州)連合軍が放つ、現役ならではの凄みに感服したひとときであった。

画像: カメラマン:Ayaka Matsui

カメラマン:Ayaka Matsui

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